去年の今日を見ると
今年の色づきやっぱり早いな
むかし 部の先輩小林さんの後任として来た小林くんの結婚相手の苗字も小林さんでしたが
本名をシコ名にしている若手ホープのお祖母様は、正代正代(しょうだい まさよ)さんだって!
力士プロフィール - 正代 直也 - 日本相撲協会公式サイト
ハンセン病ゆえに強制隔離されてきた人たちを巡るルポルタージュ。著者は朝日新聞記者。2015年発行。
読みながら何度も涙が出ました。病気に罹った人たちの気高さばかりでなく、支援や交流を行う人たちのまごころと志に。
「いのちの授業」を続けてハンセン病について生徒と共に学ぶ中学教諭や 中国の「隔離村」に移住した青年等々の具体的な活動もさることながら、
「らい予防法」が廃止されてその人権蹂躙が広く知れ渡り始めるよりはるかに前の時期、「施設」から社会に出てしばらくしてから病歴を告白した男性に「そうか、たいへんだったなあ」「それがどうしたの」と全く抵抗感なく受け入れた上司や婚約者に。
「施設」で暮らす詩人・塔和子さんと交流していた女子高生がいました。彼女の父親はそれを快くは思っていなかった。塔さんが詩集出版を望んでいることを知った彼女は 印刷会社を経営している父親に塔さんの詩を見せたところ、彼は「この詩は、ただもんじゃないぞ」と感動。出版が実現しました。これも「らい予防法」廃止のはるか以前です。
(もちろん本書では、彼ら彼女らが受けてきた差別や迫害も記されています。)
そして、これまた素晴らしいのが 表紙折り返しの著者略歴に写っている高木記者の顔です。
「美人」という尺度で言っているのではありません。まっすぐな心を持ち、まっすぐに生きてきたことが表れていると感じました。めったに見ることがないほどに。
英国リバプールのハードデイズナイトホテル。
部屋の外に掛ける、、、
「Let it be.(Do not disturb)」
「I need you.(Please service my room)」
ビートルズ大好きにしてポール・マッカートニー命のポン友がむかし泊まった。
筑摩書房のPR誌『ちくま』 3年前の今月、2014年11月号に
「業者が若い女性を騙して連れてきたケースは」「決して少なくなかったことは」「すぐにわかることだ。」
「軍隊と性について語るときに、幾つかの前提、あるいは基礎知識となる史実をあらかじめ知っておく必要がある。」「このような知識がないために」「まったく史実と反したり」「いきなり現在の人権問題とからませて論じたり」「粗忽な肯定、否定の論者がいる。」
と書き出して、まず論の要旨を箇条書きしています↑。
言わずもがなながら、特攻作戦を最大非難する↓立ち位置の氏は
http://mainichi.jp/feature/news/20141024mog00m040003000c.html
いわゆるネトウヨ的否定派に同調するハズもないことを念のため書き添えておきます。
そして
言うまでもないからか、それを言っちゃあおしまいよ(©寅さん)だからか
それこそ「肯定の論者も否定の論者も」あんまり言わないようですが
「前提の前提」として
軍が(一)〜(七)↑ に「対応」するのは
言い方がムズカシイのですが
「男の性」が「どうしても」あるから、とも思う。
もちろん
だから「必要」(必要悪) だった、という方向に行くのは絶対的に間違いで
それがミもフタもなく顕在化する点でも戦争は絶対的に悪、という方向に考えるべき
と私は思います。
映画「終の信託」が材を取った 川崎協同病院事件。
重症喘息患者の死をめぐり
「安楽死とは 尊厳死とは」の議論、「美人医ウンヌン」の興味本位な報道、で覚えておられる方も少なからず、と思います。
著者は
殺人罪の有罪判決を受けた(懲役1年6月 執行猶予3年 最高裁で2009年確定)
担当医です。
本書タイトルの問いかけは
自分の医療行為は刑法199条「人を殺した」に当たる筈がなく
仮に刑法の構成要件に該当せざるを得ないとしても 自分は殺していない
を含意します。
後者は
裁判上の「真実」イコール真実か、という数多論じられてきたテーマとも言えましょう。
その上で著者は 終末期医療についての持論を展開。死は厳かなものであるのだから ガイドラインや法律でガチガチにスキームを固めるよりもむしろ 寄り添っている家族と担当医と本人の「阿吽の呼吸」の方が相応しいのでは、と。
(チームで合議するとどうしても「延命」の結論になってしまうので)担当医一人だけの判断であるべき、との考えには小さからぬ疑問がありますが。
私は成人してから軽度とは言え喘息で苦しんだ時期があり
同年代のみなさま同様に身内を看取ったり、あるいは例の「同意書」に何度か署名した経験もあり
いろいろなことを考えさせられた一冊です。
青志社、2010年発行。
昭和40年代、日本三大庭園の一つがある地方都市で、帝銀事件に似ているが 帝銀事件より死亡者が多い毒殺事件が起こった。10年後20年後に11人が語る真相(あるいは「真相」)とは? 現場に残されたメモの、ユージニアなる言葉の意味は?
2006年日本推理作家協会賞の長編部門と連作短編集部門 ダブル受賞作。
「関係者が語る「真実」は食い違いもありながら真実に収斂していく」は定番的構成と言えるかもしれませんが、11人各々が語る章ごとに 各人の人生(≠ステレオタイプ)も浮き彫りになる完成度の高さ。(ナルホド長編賞にして連作短編賞!)
エラリー・クイーン『Yの悲劇』にちょっぴりだけ似ていますが オマージュと捉えこそすれケチをつけるようなタグイではありますまい。
ストーリーの巧みさばかりでなく、文章もイイ(その両面が 小説たる車の両輪と考えます)。
たとえば、単行本239ページ&文庫219ページ↓
重たげに夏は過ぎる。
枝豆の莢やとうもろこしの芯、西瓜の白い部分やアイスキャンデーの棒の数を増やし、出入りの酒屋がビールの空き瓶をがしゃんと鳴らす音を聞きながら、夏はのろのろと過ぎてゆく。
↑ホントに素敵な文章と思います。まさに「(昭和40年代の)夏」が描かれていて。その時代 こどもだった私は夏休み(の後半)の空気感がホントにこんなだったなあと。
文庫の巻末には通常の「解説」や「著者あとがき」ではなく、「ユージニアノート」と題して本書の造りに携わったブックデザイナーたちが語っています。表紙の写真は作品のイメージ、タイトルと著者名は同じサイズなのに著者名の方が大きく見える、単行本本文の「平衡感覚がちょっと麻痺する」書体等々 本作にふさわしく「頭がくらっとする」仕掛けを随所に施した、と。
ナゼ今まで恩田陸を読まなかったのか 自分!と言いたくなるほどの面白さでした。
渥美清と言えば映画「男はつらいよ」の寅さん(本書表紙)ですが
もちろん、リアル渥美清は =人情味あふれるトボけた人気者「寅さん」ではありません。 ≒ですらなく、まるっきり≠であった、ことが分かる評伝です。親交のあった著者が、等身大の実像を描き出しました。
可笑しな寅さんを演じた、「おかしな男」田所康雄(渥美清の本名)。この「おかしな」には 複雑な人間という意味合いが。一筋縄ではない「複雑さ」なれど、初期寅さんのメインであった「ハチャメチャ」も晩期寅さんにメインであった「人生の先達者」も 田所康雄とは真逆でした。
2000年 新潮社から刊行→新潮文庫化→ちくまから再文庫化。
さて 寅さんメイ言 数多あれど、私的イチバンは
「だからオレとオマエは違う人間だ。早い話オレがイモ食ってオマエのケツから屁が出るかよ」。
たしかに!そう考えれば・・・オノレと違う考えや振る舞いを受け入れられない、が非寛容の根っこだろうから。
いわゆる「靴磨きのおじさん」、いつのころからか町なかで見かけなくなったなあ。
昭和のころ、「おじさん」と「契約」していたユカイな先輩営業マンがいました。
ビル2階の自席机の下に一足置いておき、日中「おじさん」がオモテから入って来て路上の「仕事場」に持ち帰り、磨いたら机の下に戻しておく、、、というサイクルで料金は毎月前払い。
「おじさん」は見なくなるわセキュリティのあれこれでカンタンに出入りできなくなるわで今やこんな「契約」は、、、
↑「三丁目の夕日」的郷愁に浸っているような印象を持たれた向きもあるかもしれませんが
実のところ私はそういうクチではないです。
ゼッタイ戻りたくはありまっしぇん。温水洗浄便座がない時代には。