泉屋クッキー、カーリング
今年初泣きした本
『ソマリランドからアメリカを超える 辺境の学校で爆発する才能』 ジョナサン・スター著 黒住奈央子・御舩由美子訳 角川書店 2017年
オーナー兼校長である著者が、アフリカ東部ソマリランドで学校設立に着手した2008年から数多のトラブルを乗り越え卒業生の過半が米国等国外の大学に進学するようになったまでを綴った手記。
逆境という言葉では軽すぎるほどの状況にめげず前を向いて勉学に励む生徒たちに、生徒たちと著者との絆に、米国で寄付を募る席で心を打つスピーチをするまでに成長した生徒の姿に、何度もジーンときた。そんな生徒たちの中でもとりわけの頑張り屋ムバリクがMITに合格したくだりではとうとう決壊。
訳者の技量に負うところ大なのであろう、スイスイ読み進められた。小さめの字 狭めの行間で単行本サイズ300ページ余だが、この土日にオリンピックTV観戦と交互読みで読了。特お薦めの一冊です。
いわゆる途上国と教育 に関する本と映画↓
ソマリについて↓
横浜かをり のレーズンサンド
映画「大いなる沈黙へ」
アルプス山脈に建つカソリックの男子修道院。厳格な戒律で知られる。その一年間を「そのまま」撮ったドキュメンタリー。照明なし・音楽なし・ナレーションなしの条件で映画化が許可された(と文字説明が入った)。
祈り中心の(と言うより祈るための)質素で規則的な毎日。修道士たちがここで一生を送るのは、字幕として何度も出た「神よ あなたが私を誘惑した」ゆえだろうか。それは異性や仕事に「誘惑」(騙しとしての誘惑に非ず)されて没入するのと似て非なるものか、似ずして別物か。没入しきるほどの「魅力」と捉えるとしたら、まさに似たもののようにも感じた。俗世のあれこれとはそもそもが異なるのは言うまでもないが。
時おり修道士たちの顔アップが挟まる。いたずら小僧がそのまま大人になったような顔、どこにでもいそうな好々爺みたいな顔。皆、見るからに聖職者 みたいな趣ではなかった。日曜日に数時間だけ修道院の外に出て散歩が許される。一週間でそのときだけ言葉を交わすことが認められ、ジョークを飛ばし合ったり。無邪気に雪遊びをしたりも。
意外にも、とりたてて禁欲的とは感じられなかった(もちろん禁欲に他ならないが)。祈りそのものだけでなく修道院生活全体が信仰の実践であり、かつそのことを意識さえしない境地にも達していて、ことさら自らに禁欲を課しているわけではないからだと思う。
静かで穏やかな暮らし。2時間49分。眠くなるが、だんだん「馴染んで」きて単調でゆったりした時間を見続けるのが心地よくもなってきた。複雑で慌ただしい日々よりも「あるべき」だからか(たまに旅行で山に行くと二日もすれば退屈するくせに何をか言わんやだが)。
「人間が他の動物と最も異なるのは信仰心」と何かに書いてあったのを思い出した。その伝でいくと我々多くの日本人はどうであろうか。「日本の常識は世界の非常識」の一つと言えるかもしれない。異性や仕事に似ている なぞと言う私こそ「多くの日本人」の最たるものだろうか。
日本公開2014年
本作の公式サイト↓
ラグビーと麻雀
スーパーラグビー2018開幕!
ふと思ったのですが
ラグビーと麻雀の楽しさは似ている。必然と偶然の絶妙のバランスみたいなのが。
ラグビーは(あらゆるスポーツがそうであるように)理詰めのスポーツですが、楕円球がどこに転がるかは ?
麻雀も頭を使いますが、どの牌を引くかは ?
ボールの転がり方や 引いた牌への対応力がキーになるところも
流れが良い時には、うまく転がったり よい牌を引いたりのところも
似ている、、、と。
そして来年はいよいよラグビーワールドカップ日本大会!!
世の中にこんな美味いモノがあるとは!
西村賢太私小説 新刊
今年1月 講談社から発行された短編集『夜更けの川に落葉は流れて』です。
西村作品のタイトルは、表題作のように内容とミスマッチな文学的趣深いのと 収録作「青痰麺」のように内容通り嫌悪感を覚えさせるのがありますが
いずれにしても 主人公・北町貫多(≒西村賢太)これでもかこれでもかの品性卑しさに変わりありません。これまたミスマッチ的な ユーモアらしきモノもいつも通り。本作の3編は貫多(≒賢太)、主に20代のときです。
「品性卑し」と書きました↑が
しかしながら、はたしてホントにそうか?↓
もし二人が「交錯」していたら罵詈雑言を浴びせ倒し合っていたであろう、ある意味 西村賢太以上(以下と言うべきか)に毀誉褒貶が激しい私小説家だった夫・車谷長吉を詩人・高橋順子が回想↓
萩原恭次郎『死刑宣告』
上村愛子さん
NHKテレビで平昌オリンピック中継をしている彼女、前大会までスキーモーグルで5大会連続してメダルを期待されながら7位→6位→5位→4位→4位とどうしてもメダルに手が届かなかった。
前大会の競技後、わがフェイスブックにこんなことを書いていました↓
上村愛子選手の試合直後のインタビュー。
20年近くおそらく全力以上を尽くして追い求めたものが結局得られなかった。アスリート的には悔しさを前面に出すのがあるいは「正しい」のかもしれない。
しかし彼女はうつくしい笑顔うつくしい言葉づかいで振り返る。嘘偽りのカケラも感じられない、とはこういうことかとも思う。昨日の東京の銀世界のように冴え冴えとしていた。
喜びを爆発させる 彼女より若いメダリストの姿もまたうつくしく、それとの対比もうつくしかった。
そして今大会
日本選手のメダル獲得に、自分のことのように(自分のこと以上に)嬉しそうな彼女を見ました。