相撲 歴代連勝記録上位4人は?
なにごとも観点を変えると違う景色が見えるものですが、
2010年一月場所十四日目から同年十一月場所初日まで白鵬が63連勝して双葉山の最高記録にあと6まで迫りました。
だけど、双葉山の時代は1月と5月の年2場所で、一場所は11日間→13日間の移行期です。双葉山の69連勝は1936年(昭和11年)一月場所七日目から1939年(昭和14年)一月場所三日目までなので、足かけ4年にして約3年間無敗。白鵬の場合は年6場所15日間制なので1年間足らず、連勝記録3位千代の富士の53と4位大鵬の45も同様です。たとえ連勝数が並んだとしても、3年間勝ち続けたことそのものが凄!ですね。
もちろん、大鵬 千代の富士 白鵬も大横綱なのは言うまでもありません。
ちなみに白鵬を63で止めたのが稀勢の里です。
大鵬を止めたのは戸田(のちの小結・羽黒岩)、千代の富士を止めたのは大乃国。
双葉山 全成績↓
横綱とは↓
寒いのイヤだが ホラーも見たくない
こんな簡単なコトなんで気づかなかったのか?って ありますよね。
ワタシは寒がりなので昨冬まで掛け布団の上に毛布二枚とタオルケットを重ねていましたら、重苦しいゆえであろう 怖い夢を何日かにいっぺんは見ていました(マスクを付けると重苦しいかつ息苦しいで頻度アップ)。
ワタシは怖いのも大キライですが、究極のトレードオフ 苦手度を比べるにやはり寒さが上。ホラーでうなされるままにガマンしていましたが、
今冬、そうだ!厚着をして掛けモノを少なくすれば!!と急にヒラめいて
効果テキメンです♪
『カルピスをつくった男 三島海雲』
乳酸菌飲料カルピスの創始者である三島海雲氏(1878-1974)の評伝。山川徹著、小学館、2018年発行。
氏は、1948年から1970年までカルピス食品工業株式会社の社長を務めた(一時期は会長に退く)。そのときの部下たちが口々に語るに
「商売は二の次で、おいしくて身体にいい物を、社会に恩返しを、という信念をとことんまで貫いた人でした」
「儲けようなんて考えはあの人の頭のなかにはなかったはずです。いまどきの経営者みたいに『経営者として自分はどうあるべきか』『会社をどう大きくしていくか』なんて発想はまったくなかった」
「面白いこと、身体にいいことにとにかく一生懸命だった」。
ある部下が指摘するように、右肩上がりの高度成長期だったからこそ でもあるだろう。
だがその部下は続けて「現代の経営理論とは一線を画しているかもしれません。批判する人もいるでしょう」と前置きしながら、「みんなで分かち合いたいという気持ちが強かったよう」だった氏がある夏に山梨県で食べたスイカの美味しさに感激して後日 全社員400人に一玉ずつ配ったエピソードを紹介して「立派な経営理論よりも、私たちは一玉のスイカに感動したんです」。本書の中で私が最も印象に残る箇所である。
こうした経営者としての姿の土台は、寺の子として生まれ中国大陸に渡りモンゴル高原(遊牧民から乳製品を振る舞われた)を行き来した戦前戦中の生き様であった。
たいていの人が多少なりともそうであろうように、家族から見えた姿には異なる面もある。これまた大抵は多少なりともそうであろうように、父と息子のアンビバレントが加わった。
そのあたりも本書はキチンと書き込んでいる。
氏は長男に高圧的(他の家族に対してもだったが、とりわけ長男に)。「息子はかわいい。でも会社は継がせない」と言っていた通りにした。
長男は「明治の男達はかくも父権をのさばらし、権威と絶対的命令と生殺与奪の権を行使していたのであろうか」と。「(父は)信念と主張が強い為、自分が良いと思い、うまいと思うと他人もそうだと思い込む、又家族の我々までうまいだろうとおしつけられ」は部下スイカのくだりとあまりにも対照的。
しかし、父の最期の言葉は「(謝罪の意と思しき) カツ、すみません!」だった。カツとは長男のこと(そのとき長男は居なかった(父が96歳の高齢で心筋梗塞の小さな発作を繰り返していたが 海外旅行に出かけていた))。
私が2番目に印象に残った箇所である。
1958年生まれの私は子供の頃もちろんカルピスが大好きだった。1990年代にヒットしたカルピスウオーターも好んで飲んだ。だけど考えてみたら今世紀に入ってまだ一度も飲んでないかもしれないなあ。
今年の大河ドラマ「いだてん」のダブル主人公である1964年東京オリンピック招致の立役者 田畑正治氏が、一瞬だけ登場。
宅急便 創始者の評伝↓
双子ホワイトタイガー
映画「横道世之介」
たまにしか行けない旅行はまず計画を立てるのが楽しいように、私は映画館で観るのが年10〜15本なのでドレにするか検討するのが楽しい。
だけど後年テレビで見てコレは観に行くべきだったと思うことがままある。先日BSで見た、2013年公開「横道世之介」も。この数年間で観に行った中で特に印象深い↓↓↓↓等に匹敵していた。
1980年代後半、世之介が長崎から上京して大学に入学してから一年間の物語。10数年後、彼と親しんだ人たちがそれぞれに回想する。このオムニバス的構成も効いていた。ドンくさい(死語かな)ヤツだが、人をとても温かい気持ちにさせるヤツだった。世之介を思い出すとき、皆 一様に笑顔になる。彼を見ていて 自分らしく生きていいんだと気づかされ、皆そのように日々を送ってきた。
世之介は35歳で突然の最期を迎える。新大久保駅ホームでの2001年リアルと同様の事故における同様の行動によって。それは、彼らしい、彼らしすぎる行動であった。
今年観る候補は「ファースト・マン」と「ダンボ」が確定。前者は「セッション」「ラ・ラ・ランド」に次ぐチャゼル監督作。後者は動物好きの私には外せない。
映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観て
タイトル通りの映画でした。クイーンの大ヒット曲タイトルだからそう言うのではなく、フレディマーキュリーがボーカル・作詞・作曲だからというのでもなく、まさにフレディマーキュリーというボヘミアンの物語(ラプソディ)だったからです。
この映画について語るべきであろうことは語り尽くされている感。そして当時の私はラジカセから流れるクイーンの曲をとても良いなあと聞いていただけでレコードの一枚も買ったことがなく、その音楽性等について語る術もありません。なので、ちょっと思ったことを以下に書きます。
突き抜けた能力を持つ者とそれに及ばぬ者。なにも芸術の分野に限りません。会社の仕事(「出世競争」も含めて)でもそれは表れます。
20代の頃はお互いまずは情熱が前面に出ています。だけど、30代40代になると持つ者と及ばぬ者が次第に顕在化してきて私を含む後者はどうしても心穏やかではなくなりますが 前者もまた辛いのでしょう。フレディと他3人がそう描かれたように。
けれど還暦ごろを過ぎると、また変わってくるものではないでしょうか。チューリップの財津和夫が「ギャラが5分の1になっちゃう」、ドリフのカトちゃんが「ギャラは長さんが5人分を受け取って配るんだよ」と冗談交じりで語れたように(どちらも10年ほど前にテレビのトークで聞きました)。
美輪明宏氏の信念、自民党のLGBT政策
「男らしさ女らしさというのは時代遅れです。人間らしさ、でよろしい」に共感します。「容姿容貌、年齢、性別、国籍、持っているもの、そういったものはいっさい見ない。目の前にいるひとの魂、心がきれいかきれいじゃないか、それだけが問題」にも。
ところで リンクした記事↑序盤でLGBTに関する例の論文を発表した杉田水脈氏(自民党議員)が「党内から賞賛され」と記されていますが、正確には「党内の一部」と言うべきと思います(「一部」がどの程度の割合かは別として)。なぜなら、一昨年から公表されている党としての見解が杉田論文を否定する内容だからです↓。
どうにも解せないのは、杉田論文を支持する論も批判する論も 党見解に言及した文が 私が目にした中ではなかったことです。とりわけ論文を批判するスタンスなら、そのスタンスに近い政権党公式見解をもっと取り上げるのが本当ではないでしょうか。
もちろん 政権党に対する異議申し立てはとても大事ですが、ためにする批判が最近なにかと目につく印象もあります。