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行政書士ミヤシンの800字映画評

映画の感想を原稿用紙1〜2枚分でコンパクトに。ときどき書評。たまに・・・。

映画「海よりもまだ深く」(2016年公開)

映画

   中途半端な無頼派の 50男、篠田良多。芥川賞よりはるかに格下の文学賞をむかし受けたが、今は興信所調査員が主な収入で困窮ぎみ。
   ありえた(かもしれない)はずの人生たりえず、ありえなかったはずの人生を送っているのは、ありえないほど格好いいルックスの阿部寛扮する良多だけではない。
   うまくいかないのを時代のせいにしていた亡き父も、同じ団地の分譲棟に住みたかった母(樹木希林)も、「良多さんは子どもが生まれたら変わるかなと思っていた」元妻(真木よう子)も、どんな大人になりたかったかを「忘れた」若き同僚も、プロ野球選手に「なれるわけないじゃん」と言う息子も。
   「3チャンネルで音楽の解説をしたら、のような話もむかしちょっとあったけれども断った」と問わず語りする、団地の分譲に住む老齢男性(橋爪功)も。良多の母を含む中高年女性を自宅に集めてレコードでクラシックを聞き、解説(凡庸な)を加える会を定期的に催している。そのとき部屋を出入りしたバイオリニスト「だった」娘の一瞬の横顔には「たりえなかった」感。この父娘が効いていた。
   葛藤のすえ「たりえなかった」を受け入れたり、ラスト大逆転で「たりえた」り、というありがちな展開ではない。そんな自分を受け入れられずとも日々なんとかかんとか生きている彼ら彼女らを描くこの映画の眼差しはそれでもいいんだよの暖かさ。だからであろう。とても後味がよい。
   良多を軸に母、姉、元妻、同僚の、ハデな出来事は起こらぬ日常でこその気持ちの通い合いとすれ違いも浮き彫りに。良多を挟む二組の父子にはパラレルの妙。「結」に至る「転」で台風を「利用」したのは些かありがちか。
   喫茶店で窮屈そうに座る良多。本作に限らず長身スマートを反転させた「どうして俺はこんなに大きいんだろう」的佇まい、アベちゃん余人をもって代え難し。