15年ほど前に ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて』(岩波書店、2001年)を読んで
私が生まれた直前期にもかかわらず昭和20年代の日本社会に関して無知に等しいと痛感して以来
人々が新しい体制をどう「受容」したか(しなかったか)をテーマにした本を時折読んできて
この時期がどんな様子だったか、自分なりに少しずつイメージできるようになってきました。10代だったわが母や義母が受洗したり教会通いをしたり(二人の親=私の両祖父母はクリスチャンに非ず)というのもナルホド、とかね。
たとえば 秋尾沙戸子『ワシントンハイツ GHQが東京に刻んだ戦後』(新潮社、2009年)を読みました。
戦中戦後のあれこれについて多数の一般市民へのインタビューもなされている同書。本筋とは全然関係ありませんが、東京大空襲の炎に包まれた町を目の当たりにして当時21歳の女性は「なんてきれいなんだろう」とまず思った、と。たしか向田邦子のエッセイか小説でも東京近郊の家(疎開中?)の窓から見て「きれい」と言うシーンがありましたね。
「そう思うとはケシカラン」なんてカンタンな話ではなく、一筋縄ではいかない人間というもののフクザツさ、、、
モチロン、空襲警報→防空壕のほとんど連夜(昼ではなく夜、しかも真夜中)の繰り返し。その恐怖感(という言葉では軽すぎるほどの)がどれほどであったかを想像しなければならないのは言うまでもありませぬ。
戦中期がどんなだったかを もひとつ↓