ミヤシンの映画と読書とスポーツ+馬鹿話

子供の時からミヤシンと呼ばれている男です。本や映画やスポーツやニュース等の感想を短く書きます。2016年1月に始めました(2020年4月にブログタイトルを変更しました)。

「潜伏キリシタン」 踏絵について

 今年ビッグニュースの一つが 「潜伏キリシタン」関連遺産が世界文化遺産登録決定ですが、江戸時代キリシタン弾圧の最たるものと知られているのは踏絵と言っていいと思います。「踏絵」という言葉が今日でも比喩的にしばしば使われるほどに。

 先日、東京国立博物館で踏絵用聖像を初めて見ました。
 踏絵のため当初は キリシタンから没収した聖画や聖像が使われていたが、1600年代後半それでは間に合わなくなり 奉行所が鋳物師に注文製作させた「聖像」を使うようになった。その「没収物」と「注文物」が両方とも展示されていました。
 後者は信仰の対象ではないためキリシタンにとって踏む苦痛が軽減という展示説明文を見て私は、踏絵を強いる奉行所側もまた「苦痛軽減」を認識していたのではないかなあ?とフト思いました。

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 去年刊行された歴史学者による『踏絵を踏んだキリシタン』を読んでみると、信仰された聖具から踏ませるための道具へ→キリシタンを捜索する手段から非キリシタンを証明するだけの手段へと形骸化していった、と結論づけられていました。民衆の間に「惰性に近い年中行事」といった意識も生まれ、「潜伏キリシタン」は「絵踏することで(中略)〝教え″を守ることができるため(中略)自ら踏むことを選択した」と。本書表紙は1830年ごろ描かれた踏絵場面(「聖像」写真は「注文物」です)、ナルホドのどかな光景に見えますよね。

 遠藤周作『沈黙』で奉行所役人が「心より、踏めとは言うとらぬ」「ただ形だけのことゆえ、足かけ申したとてお前らの信心に傷はつくまい」と踏絵を求めるシーンがありますが、この小説が描いた時期はまだ「没収物」だけが使われていた1600年代前半です。

 展示されていたうち「注文物」を製作した萩原祐佐は、長与善郎『青銅の基督』(岩波文庫、1927年)の主人公になっています。この小説では、製作した「聖像」の出来があまりにも良かったので彼自身がキリシタンと決めつけられて処刑されます。そのことは事実と著者は「付記」で書いていますが、はたして?

 

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