ミヤシンの映画と読書とスポーツ+馬鹿話

子供の時からミヤシンと呼ばれている男です。本や映画やスポーツやニュース等の感想を短く書きます。2016年1月に始めました(2020年4月にブログタイトルを変更しました)。

『カルピスをつくった男 三島海雲』

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 乳酸菌飲料カルピスの創始者である三島海雲氏(1878-1974)の評伝。山川徹著、小学館、2018年発行。

 氏は、1948年から1970年までカルピス食品工業株式会社の社長を務めた(一時期は会長に退く)。そのときの部下たちが口々に語るに
「商売は二の次で、おいしくて身体にいい物を、社会に恩返しを、という信念をとことんまで貫いた人でした」
「儲けようなんて考えはあの人の頭のなかにはなかったはずです。いまどきの経営者みたいに『経営者として自分はどうあるべきか』『会社をどう大きくしていくか』なんて発想はまったくなかった」
「面白いこと、身体にいいことにとにかく一生懸命だった」。

 ある部下が指摘するように、右肩上がりの高度成長期だったからこそ でもあるだろう。
 だがその部下は続けて「現代の経営理論とは一線を画しているかもしれません。批判する人もいるでしょう」と前置きしながら、「みんなで分かち合いたいという気持ちが強かったよう」だった氏がある夏に山梨県で食べたスイカの美味しさに感激して後日 全社員400人に一玉ずつ配ったエピソードを紹介して「立派な経営理論よりも、私たちは一玉のスイカに感動したんです」。本書の中で私が最も印象に残る箇所である。

 こうした経営者としての姿の土台は、寺の子として生まれ中国大陸に渡りモンゴル高原遊牧民から乳製品を振る舞われた)を行き来した戦前戦中の生き様であった。

 たいていの人が多少なりともそうであろうように、家族から見えた姿には異なる面もある。これまた大抵は多少なりともそうであろうように、父と息子のアンビバレントが加わった。
 そのあたりも本書はキチンと書き込んでいる。
 氏は長男に高圧的(他の家族に対してもだったが、とりわけ長男に)。「息子はかわいい。でも会社は継がせない」と言っていた通りにした。
 長男は「明治の男達はかくも父権をのさばらし、権威と絶対的命令と生殺与奪の権を行使していたのであろうか」と。「(父は)信念と主張が強い為、自分が良いと思い、うまいと思うと他人もそうだと思い込む、又家族の我々までうまいだろうとおしつけられ」は部下スイカのくだりとあまりにも対照的。

 しかし、父の最期の言葉は「(謝罪の意と思しき) カツ、すみません!」だった。カツとは長男のこと(そのとき長男は居なかった(父が96歳の高齢で心筋梗塞の小さな発作を繰り返していたが 海外旅行に出かけていた))。
 私が2番目に印象に残った箇所である。

 1958年生まれの私は子供の頃もちろんカルピスが大好きだった。1990年代にヒットしたカルピスウオーターも好んで飲んだ。だけど考えてみたら今世紀に入ってまだ一度も飲んでないかもしれないなあ。

 今年の大河ドラマ「いだてん」のダブル主人公である1964年東京オリンピック招致の立役者 田畑正治氏が、一瞬だけ登場。

 

宅急便 創始者の評伝↓ 

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