村上春樹が彼の父について綴ったエッセイ「猫を棄てるー父親について語るときに僕の語ること」が月刊『文藝春秋』最新号に掲載されています。
冒頭で「僕と父の間には」「楽しいこともあれば、それほど愉快ではないこともあった」。愉快ではなかったエピソードの方がたくさん紹介されています。写真↑のような楽しい時間は少なかったのかもしれません。
父は中国戦線に従軍。戦場体験について語ることはほとんどありませんでしたが、春樹が小学校低学年のとき「捕虜にした中国兵を処刑したことがある」と打ち明けられました。
「(父自身の関与の度合いは不明ながら)このことだけは、たとえ双方の心の傷となって残ったとしても」「伝えておかなくてはならないと感じていたのではないか」と春樹は推測します。
「父の心に長いあいだ重くのしかかってきたものを」「息子である僕が部分的に継承したということになるだろう。人の心の繋がりというのはそういうものだし、また歴史というのもそういうものなのだ。」「その内容がどのように不快な、目を背けたくなるようなことであれ、人はそれを自らの一部として引き受けなくてはならない。」
このエッセイで最も言いたかったことの一つは、ある立場の人たちが「自虐史観」と言いそうなこのくだりかもしれません。
父の部隊は戦死者をおおぜい出しました。だから自分はこの世に存在しなかったかもしれない、と春樹は思います。
私の父は終戦の年に15歳で軍隊に入り 実戦経験はありませんが、だからタラレバをさらに足して父がもう何年か早く生まれていれば私もまた と思います。
冒頭の一文には「ーおそらく世の中のたいていの親子関係がそうであるようにー」という注釈が付されています。自分自身を振り返ってみてもホントにその通りだと思います。