ミヤシンの映画と読書とスポーツ+馬鹿話

子供の時からミヤシンと呼ばれている男です。本や映画やスポーツやニュース等の感想を短く書きます。2016年1月に始めました(2020年4月にブログタイトルを変更しました)。

又吉直樹(ピース又吉)3作目を読んで

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    ラストのセンテンスがあまりにも凡庸なのはどうしてでしょうか。


    又吉直樹氏は芥川賞を受賞した『火花』でデビューして以来、タレントの余技などではなく、文学は言葉の表現たることに真正面から取り組んでいると私は思います。


    昨年刊行された又吉氏3作目『人間』でも、
「くだらないものですが」と言って、泥を人に渡しておきながら、当人は「なかなか、珍しい泥でしてね」と誇らしげな表情を浮かべているような。←「自慢と意地の悪さと馬鹿を撒き散らした人物の謙遜など無駄でしかない。」に続く文(24ページ)。
柵が設けられた庭で小型犬が走り回っているのを眺めているようなもので、←「自分の許容を超えた恐怖や苦しみに至らなかったことが哀しい。」と続く文(109ページ)。
といったように。


    その氏にして。書き出しと並んで表現を考えに考え抜くはずの末文が、、、不思議でなりません。


    そしてその末文で示されているのであろう、一人称ストーリーテリングの中で思索しながら達した人間観もまた些か凡庸と感じました。


    それは、一見キャラ立ちしている登場人物たちが実のところステレオタイプであることにもよると思います。

    ぶっ飛んでいるかのような主人公父も「ぶっ飛んだオヤジ」の類型からはみ出していません。

    デビュー作『火花』で最後には「暴発」した「神谷さん」のブッ飛びぶりと比べるべくもなく。


↓『火花』を4年前に読んだ時わが感想はこのようでした↓

とっても読み応えがあると思いました。
小説としての完成度みたいなものは高いとは言えないと思いますが、ソコは新人賞なので(批判的なムキが「ただの新人賞に騒ぎ過ぎ」を含意しているのなら それには同意できます)。
そないなコトよりなにより本作が心に響くのは
オノレの思い、すなわち 笑いとは? 仕事とは? 「売れる」とは? そして 人生とは?を
一切ガッサイ伏せることなく薄〜い布一枚すら覆うことなく書き切っているから。
本作がシロウトっぽいとの見立てがあるようですが、薄〜い布一枚を破り捨ててモノ
したヒトはオノレの全存在を賭けた紛うことなき「プロ」でありましょう。
そのためにはまずオノレと真正面から向き合わなければならず(これまたムズカシイ)、言うまでもなく伝えるに十分な表現力も不可欠。
モチロン「思い」そのものがユニークでなければ読み応えなどあろうハズもありませんが、薄〜い布一枚抜きならその必要条件は満たしているかと。
その上で(小さからぬ)プラスアルファーがあれば衆目が認める名作となるのだと思います。ソコは次作以降に大いに期待♬

この『火花』感想↑を踏まえて↓


    2作目『劇場』も本作『人間』もやはり薄〜い布一枚抜きではありましたが、プラスアルファーは感じ取れませんでした。


    そして3作を通して 世に出た人への嫉妬と世に出た時の優越感といった、又吉氏の一面一面の分身であろう表現者たちの黒い葛藤をタップリと書き込んでいます。

    それがきわめて「人間」を描くことになり得るのは確かですが、私たちが震えるほど感動させられる作品はそのような次元の表現者からは作り出されないのではないでしょうか。


    もとより氏も十分に承知だろうと思います。『人間』終盤の思索で黒い葛藤が乗り越えられつつあることが表されました。


    だから、次作以降にやっぱり期待します。なんと言っても必要条件は満たしているのですから。

 

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