ミヤシンの映画と読書とスポーツ+馬鹿話

子供の時からミヤシンと呼ばれている男です。本や映画やスポーツやニュース等の感想を短く書きます。2016年1月に始めました(2020年4月にブログタイトルを変更しました)。

ノンフィクション賞受賞作

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   ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』新潮社2019年刊。今年度の本屋大賞ノンフィクション本大賞受賞作でもある。

   イングランドで長年暮らす日本人の著者とアイルランド人の夫との一人息子が2017年9月、中学校に入学してからの1年半が綴られた。

   その学校は英国人のいわゆる労働者階級の子が大半で東欧やアジアからの移民が混じる構成。ミドルクラス以上なら決して口にしないような、親や周囲の大人から倣ったあからさまな差別語が飛び交ったりもする。
   息子が入学早々にノートの隅に書いていたのを著者が偶然見つけたのが、装丁もその三色の、タイトルである。著者に似て東洋人ルックスである息子。「悲しみ」や「気持ちがふさぎ込んでいる」という意味でブルーと書いたのか?と、息子と話し合いながら学校選びをした著者の心は揺れるが。
   著者には、前作『子どもたちの階級闘争ーブロークン・ブリテンの無料託児所から』でそう至ったプロセスが記されている、信念がある。それは、あるとき息子に諭したこの言葉に要約できる。「多様性は、うんざりするほど大変だし、めんどくさいけど、無知を減らすからいいことなんだ」。

   「諭した」なぞと書いたが、実のところそんな一方通行の母子関係ではない。ときには、それこそ多様性のド真ん中で人としてぐんぐん成長していく息子の言葉によって著者が自身の固定観念を思い知らされる。
   多様性がかえってヘイトを生んでしまう現実があるとしてもヘイトを乗り越えるのは多様性しかないとの本書に貫かれた著者の考えに共感できた。

   見間違えかと思い、目を凝らして読み直した箇所が一つあった。上級生が足を怪我したくだりで「OっXを引いている」と書かれていた。そこは、ふつう書かれるように「足を引きずっている」で文意も文調も何ら損なわれなかったと思う(ましてや本書は小説でも詩でもないし)。ポリティカル・コレクトネスを重んじ、ローティーンのとき喧嘩の売り言葉に買い言葉とは言えある差別語を吐いてしまったことを深く悔いている著者が差別する意図で言葉を選択することはもとよりあるはずがなく、差別語を不注意でということもあり得ない。日本を代表する出版社の編集や校閲が差別語を見落とすことなどこれまたあり得まい。
   ということは? 障害としてではなく怪我として、だからなのだろうか。怪我であっても私が知る限りでは近年は例外なく「足を引きずる」だと思うのだが。

著者の前作↓ 

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