ミヤシンの映画と読書とスポーツ+馬鹿話

子供の時からミヤシンと呼ばれている男です。本や映画やスポーツやニュース等の感想を短く書きます。2016年1月に始めました(2020年4月にブログタイトルを変更しました)。

ミシェル・ウエルベック『セロトニン』

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関口涼子訳。河出書房新社 2019年9月発行(原著は2019年1月)。
   著者は、「フランス人(西洋人)たること」を前面に押し出した男の「苦悩」を描いた小説でベストセラーを連発している。「訳者あとがき」によると本作も出版後わずか半年で47万部売り上げた。

   一人称小説である本作の中盤で「刑事コロンボは僕らの世代が若かった時に並々ならぬインパクトを与えた」という独白があり、著者は 「刑事コロンボ」フリークを自認する私と同じ1958年生れなので一瞬嬉しくなった。しかし考えてみれば、私のフリークは1970年代の第1シリーズ限定であり、本作の主人公は46歳のようであるので、残念ながらズレている。
   「のようである」と書いたのは、独白や回想をしている時点が近未来のようでも近過去のようでもあるからだ。それは、「著者あとがき」で解説されている「細部においてはわざと事実関係の誤りなどをそのまま残しており、巧妙にリアルとフィクションの境を曖昧にしようとしている」に含まれるかどうか。私の読み間違いで、時点はハッキリしているのかもしれないが。

   タイトルの「セロトニン」とは脳内で働く神経伝達物質の一つで、その分泌を増やす抗鬱剤を主人公は服用している。

   本作も含めて著者の作は、「没落」しつつある西洋(「没落」しつつあるフランス)がキーになっている。それがフランス人読者の琴線にふれるからこそ本作もまたベストセラーたりえるのであろう。
   しかし非西洋の読者にとってはどうか。
   前作『服従』は近未来フランスでイスラム政党が政権に就いたという設定なので、ヨーロッパがイスラム世界との関わりに直面していることを日頃の報道等で見聞きしているだけに著者の問題意識が頭に入った。
   本作はフランスが農業国たる地位を失いかけているというトピックもあるにはあるが、非西洋ながら「落ち目の先進国」ではある日本の私には主人公らの「苦悩」は分かるような分からないような読後感であった。本作の中でもそんなくだりがあったように、日本人の「立ち位置」は微妙と言えるのかもしれない。あるいは、社会にとっても個人にとっても「近代化の行き詰まり」が日本でもこの先さらに進めば(非西洋人であっても)もっと「分かる」かもしれない。

   なお、村上春樹の性描写そのものに嫌悪感を覚えている方にはお薦めしません↓と言うべき箇所が本作にもいくつもある。 

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ちなみにコロンボフリークぶり↓ 

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