ミヤシンの映画と読書とスポーツ+馬鹿話

子供の時からミヤシンと呼ばれている男です。本や映画やスポーツやニュース等の感想を短く書きます。2016年1月に始めました(2020年4月にブログタイトルを変更しました)。

事実は小説よりも奇なり!?

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   生き方がこれほどガラリと変わった人間は稀有と言えるのではないか。まるで小説やドラマのストーリーのようだが、事実起こったことである。

 

   プロテスタントの米国人宣教師が伝道のため、アマゾン奥地の少数民族ピダハンの集落に赴いた。言語学者でもある彼。
 断続的に住み込んでその固有言語を教えてもらう。その目的は他ならぬ、聖書
を訳してピダハンに宣教するためだった。

   が、何年にもわたってピダハンの生活と文化にどっぷり浸るうちにキリスト教と決別するに至る。

 

   『ピダハン「言語本能」を超える文化と世界観』。著者の宣教師(であった)ダニエル・L・エヴェレット氏がピダバンを初訪したのは1977年。以来30年に及ぶ記録である。屋代通子氏訳、みすず書房2012年発行(原著は2008年)。

 

   ピダハンの「世界」は、直接体験したことだけがすべてである。

   だから、神も創世神話も持たない。

   だから、眠っている間に見る夢は現実に見聞きすることと同等の「直接体験」である。

   「直接体験の原則」ゆえに、「ありがとう」「ごめんなさい」「こんにちは」に相当する言葉がない。

 

   ピダハンは「外界」との接点が皆無ではない。行商人と物品の交換をするし、布教に来るのは著者だけではなかった(著者と同時期にもカトリック宣教師のキャンプがあった)。であれ、彼らの「世界観」は不変である。

 

   著者の説教が心を動かすことも全くなかった。逆に著者の心が揺さぶられ、ピダハンが「伝道師を無神論に導く」(最終第17章のタイトル)こととなった。(著者の信仰放棄のくだりが本書の柱ではないが。)

 

 

   私のような言語学の門外漢には専門的すぎる箇所が多少。