ミヤシンの映画と読書とスポーツ+馬鹿話

子供の時からミヤシンと呼ばれている男です。本や映画やスポーツやニュース等の感想を短く書きます。2016年1月に始めました(2020年4月にブログタイトルを変更しました)。

後味悪し 『女帝 小池百合子』

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   頬に生来アザがある二十歳ぐらいの女性が化粧をしていない時にうっかり人と会ってしまい「ぶつけてアザになっちゃった」と咄嗟に言い繕ったというエピソードを聞いたとしたら、どう感じるだろうか。

   私なら、彼女は子供の時からどんな思いをしてきたのだろうと思いを致す(他にもたくさんの嘘をついていると聞いたとしても)。

   元ルームメイトからそのことを聞いた著者はどう捉えたか。

 

   小池氏は嘘によって上昇したと著者は断じ、たくさんの嘘をつくようになった大きな原因を氏の頬に帰している(父親がハッタリやホラを習い性としていたということと共に)。よって頬について何度も言及しているが、そもそも言って良いこと悪いことというのがあると思う。政治家は「悪いこと」が大幅に少なくて当然と言っても、氏の「頬」は「悪いこと」に属すると私は思う。

   にもかかわらず書くならば少なくとも、嘘つきの「原点」たるのかを本人に確かめるべく頬に関しての気持ちを直接質問するプロセスは欠かせないのではないか。

   氏は著者の取材を拒否したとのことだが、だからと言って推定だけで執拗に(と言いたくなるほどに)言及してよい部類の事柄ではないと思う。

 

   100人以上に取材を行ったとのことだが、本書の中で小池氏の嘘を証言しているうちのおおぜいが氏に悪意を抱いている(と明らかに読み取れる)人物である点も見過ごせない。

   もちろん嘘をつかれたから悪意を持つに至ったとも言えるし、おおぜいから悪意を持たれること自体が氏の不徳を表しているとは言えようが。

 

   著者の評価基準にも腑に落ちない点がある。

   選挙区をめぐって小池氏に翻弄されたという元国会議員は、のちに収賄容疑で逮捕された(裁判で有罪確定)。

   小池氏の余波で無所属での出馬を余儀なくされたので選挙資金を借金せざるをえなかった、と収賄も仕方がなかったという旨の第三者の言を肯定的に紹介している。

   しかし明白な汚職でさえ「仕方がなかった」のなら、小池氏の嘘の中にもそう言い得る余地があるのではないか。

   防衛大臣を務めていた氏に解任された元事務次官の言を鵜呑みにしている箇所もある。小池氏の言動は全てを懐疑するのに。

   元事務次官ものちに収賄容疑で逮捕されている(裁判で有罪確定)。元国会議員も元事務次官も本書では逮捕のみ書かれていて、確定判決については記されていないのはなぜだろうか。

   ちなみに、この両人とも男性。「悪意を持つ人物」もほとんどが男性である。

 

   本書のキモはカイロ大学卒業疑惑であろう。

   勇気を振り絞ったと言えるのは間違いない一人の証言者を得て、できる限りの取材・調査がし尽くされている。「首席」は崩れたと言い切ってもよいだろう。

   しかし、「首席」と卒業は共に嘘だとしても意味合いが異なる。政治家として直ちに許されざる経歴詐称に当たる後者については本書出版後にカイロ大学当局が、氏が卒業したことを認める声明を公式に発出している。

   もしも東京大学に絡む疑惑が海外で報じられて東大がそれを公式に否定したら私たちはどう思うだろうか。共にトップ国立大学である東大は信じてカイロ大は疑うとしたら、それはいかなる心得か。

 

   本書は政治家としての氏と人間としての氏について、その両者は密接不可分という観点から、論じている。

   政策(と言い得るものは氏にはないと著者はみなすが)のブレを一つ一つ追った前者は政治家としての氏を評価する上で得難いと思う。しかし、後者については・・・

   

   嘘をついたことのない人間はいない、とこれは断言してよいだろう。たとえ嘘が多くても(そもそも多いか少ないかの比較は不能であろう)、悪質な嘘が含まれていても(多いか少ないかについては同様)、嘘(と「女」)だけを武器に上昇したというダーク一色な人間として結論づけられるものだろうか。そうした結論に至る、具体的な根拠が示されない推測も目についた。

 

   一読して後味が悪かったのは小池氏の本性を知ったから、ではない。本書そのものに対してである。
 石井妙子著『女帝 小池百合子文藝春秋
20205月発行。