文化人類学者である奥野克巳氏が、ボルネオの狩猟採集民族プナンを2006年からたびたびフィールドワークして「考えたこと」を綴った。『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』亜紀書房、2018年発行。
読んでいて驚かされた。東南アジアのボルネオからは地球の反対側であるアマゾンでこれまた現代まで狩猟採集を続けているピダハン↓と文化がとても似ているからである。
とりわけ一致しているのは、密林で暮らしていながら(と「私たち」は思ってしまう) 東西南北や左右にあたる言葉も概念もないこと。そして「ありがとう」「ごめんなさい」といった言葉そのものがなく、そういう気持ちになることがないということである。
「ありがとう」や「ごめんなさい」という言葉もその気持ちも「(私たちの)倫理」の表われとも言えると私は思うが、プナンは「(私たちの)倫理」が発現する手前の段階にあるのでは?と著者は思考を巡らす。
人類史上、狩猟採集は農耕開始以前でもある。
ちなみに↓では、「私たち」の現代に至る宗教心の転換点を人類が農耕を始めたことに帰している。
プナンにとって(ピダハンにとっても)狩猟を行う上で犬は貴重な存在だが、愛玩するだけの「ペット犬」をも「飼って」いるというくだりも犬好きの私には興味深かった。