ミヤシンの映画と読書とスポーツ+馬鹿話

子供の時からミヤシンと呼ばれている男です。本や映画やスポーツやニュース等の感想を短く書きます。2016年1月に始めました(2020年4月にブログタイトルを変更しました)。

立花隆氏最後の著作

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 『知の旅は終わらない 僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと』、文春新書、2020年発行。
 自分史語り下ろし。「自分史」と言っても「あのときこう思った」調ではなく、数多い著書と手がけたテレビ番組をコンパクトに紹介しながら書かれざる執筆意図や裏話そして今あらためて考えることを喋り倒しています。
 「知の旅」にとどまらずヨーロッパや中東など実際の旅にも出かけて思考を深めてきました。生まれてから社会に出るまでの史もタップリと。結婚二度、同棲複数回も赤裸々に(というほどでもないですが)。
 ロジカルでありながらレトリックも巧み(『文藝春秋』最新号、元担当編集者による追悼文の評)な氏が書く文章さながらの語り約400ページ。
 ただし、自分史語りというある種の気安さからか、聞き手とよほどウマが合ったのか、乱暴な言いようが時折見られるのが玉にキズかもしれません(「ニセモノだらけの前衛芸術」といった言葉のハシバシばかりでなく内容的にも)。あるいは、氏のことだから聞き手の文字起こし任せにはするはずもなく、茶目っ気(溢れる人柄と私は思う)の表れなのかもしれません。
 法的な問題を論じるとき条文解釈を知るだけでは足りず「なぜそのような法律があるのか」「その法律はいかにして成立したのか」「そもそも法とは何であるのか」まで調べ考えた、と。そうした点を踏まえない論者があまりにも多いのが実状です。(余人をもって代えがたいほどの)幅広いテーマ一つ一つに対してそのような姿勢で臨んだに相違なく、改めて氏の言論への信頼が深まりました。
 なお、私は「知の巨人」なる称賛語があんまり好きではありません。いたずらに神格化しているようにも感じられて。氏自身、ある人間を神格化するようなことは絶対に避けなければならないといった類を本作を含めて何度も書いています。
 
 ↓は世に出てからについて述べた第7章以降の見出しです。氏の守備範囲のとてつもない広さを端的に示しています。
 第七章 「田中角栄研究」と青春の終わり
 第八章 ロッキード裁判批判との闘い
 第九章 宇宙、サル学、脳死生命科学
 第十章 立花ゼミ、田中真紀子言論の自由
 第十一章 香月泰男、エーゲ、天皇と東大
 第十二章 ガン罹患、武満徹、死ぬこと

本作では臨死体験について少ししか言及されていないので、併せてこちらを↓