ミヤシンの映画と読書とスポーツ+馬鹿話

子供の時からミヤシンと呼ばれている男です。本や映画やスポーツやニュース等の感想を短く書きます。2016年1月に始めました(2020年4月にブログタイトルを変更しました)。

石井妙子著『魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣』

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 『魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣』(文藝春秋20219月発行)で石井妙子氏は、ユージン・スミスとアイリーン美緒子の評伝と水俣病史を重層的に書き込みました。

 

 加害企業や行政やマスコミや当初水俣病を否定した学者たちに対する石井氏の強い憤りが伝わります。糾弾調の書きようではありませんが、患者たちへの懐柔工作を担当した部長クラスに至るまで実名を記しているところにもそれは表れています。
※「学者たち」は熊本大学医学部を除く。もしも地元のこの大学に医学部が無ければ救済開始はもっと遅れていたのではないか。

 

 太平洋戦争の戦場カメラマンとしてユージンはサイパン島で凄惨な地上戦を目の当たりにし、子供たちに宛てた手紙でこう書きました。

「どんな男性であれ、女性であれ、子どもであれ、その人に対して人種や肌の色、信条のせいで不寛容の感情を抱くことは、絶対にしないで欲しい。(中略) 許される不寛容は、不寛容に対するものだけです。そして、そうした場合でさえも、その不寛容の理由を探求して、理解しなくてはならない。(中略) 同意できない誰をも理解するよう努力してください。」

 

 そのあと沖縄戦のさなか彼は砲弾により重傷を負い、口に後遺症が残って固形物を終生食べられませんでした。
 後遺症は口だけではなく、そんな身体で水俣でも3年間、写真を撮り続けました。

 

 人は誰でも多面性を持つと言えましょうが、ユージンも例外ではありません。
 彼は何人もの女性と深く付き合いましたが(結婚歴もアイリーンを含めて何度かあります)、そのうちの一人の証言「意識してやったことかどうかはわからないけど、彼は身近な人の心を誰でも操っていた」。たしかにそう見える面も併せて等身大の彼が描き出されました。

 

 もちろん、アイリーンの多面も。
 水俣病患者の写真と言えば私たちが必ず目にしたことがある「入浴する智子と母」をめぐる著作権者アイリーン(と智子さん遺族)の葛藤には考えさせられます。

 

 それにしても、石井氏の名を広く知らしめた小池百合子氏を一面だけの人物像で描いたことに改めて疑問を感じます。同作は世評が高く、大宅壮一ノンフィクション賞も受賞しましたが、私の感想は変わりません。(言わずもがなながら、小池氏を支持する支持しないとは無関係です。)

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