ミヤシンの映画と読書とスポーツ+馬鹿話

子供の時からミヤシンと呼ばれている男です。本や映画やスポーツやニュース等の感想を短く書きます。2016年1月に始めました(2020年4月にブログタイトルを変更しました)。

『あしたのジョー』!

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 小学生の頃おこづかいを『少年マガジン』だけに費やしていた。一冊60〜70円の時代。
 ギャグの二本柱「天才バカボン」と「パットマンX」に毎週大笑いさせてもらったものだが、なんと言っても最大のお目当ては「巨人の星」だった。

 「あしたのジョー」もワクワクしながら読んでいたが、世のオトナたちがやたらと持ち上げるのが何となく気に食わず、力石の死のあと「巨人の星」最終回を見届けたタイミングでマガジンを買うこと自体をスッパリ止めてしまった(その原資で『月刊大相撲』を購読した^^;)。だけど、ちょっぴり気にはなっていた。

 15年ほど前に出た復刻版で最後まで読んだ。力石の死以降のストーリーがたっぷりある(力石の死が壮大な布石でもあり)ことにまず驚いた。
 そして凄かった。ストーリーのうねりもディテール一つ一つも ちばてつやの画力も何もかもが。

 白木葉子の愛を拒絶しながら受け入れた(または受け入れながら拒絶した)シーンは悲しく厳しく美しかった。
 あまりにも有名なラストシーン「真っ白に〜」は中盤過ぎに小さな伏線があった。
 そして、力石はジョーの中に「最後」まで「いた」。

 とりわけ中のとりわけが金竜飛のくだり。金の東洋チャンピオンシップに挑戦したジョーは 朝鮮戦争時の凄絶な飢餓体験「ハングリー精神」を聞かされて気圧されていたが、KO寸前まで打ち込まれながらオノレのパラダイムシフトを獲得する。
 金のハングリー精神は他律的だが、ジョーと戦うための力石の減量苦は自律的だった と。減量のほうが戦時飢餓より「強い」、なぜなら「自分で選びとったから」と。猛反撃に転じ、金は自らの戦時体験「ゆえに」敗れ去った。

 往年のフォークソング戦争を知らない子どもたち」は親世代の戦争体験を真摯に受け止めながらもその「オールマイティ」的なところへの些かの反発を(も)歌ったが、戦争体験を「超える」体験として何かを描いた例は他にあんまり無いのではないか。

 モチロン戦争が人々にもたらす惨禍はまさに他律的だからでもあり、戦争が絶対に許されないのはだからこそでもあり(金のKO負けという「二次被害」をもたらすほどに戦争は罪深い)、他ならぬちばてつやも代表作の一つ『紫電改のタカ』ラストでそれを訴えている。

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