決勝トーナメント進出を熱望していたのに
不思議なほど、嬉しい気持ちがしない。
一か八か、どころではない。10分間のうちにセネガルが1点取って引き分けになれば目論見は木っ端微塵に崩れるわけだから。
もちろん、猛暑で消耗しきっていたのであろう状況で、「体面を保つ」1勝を確保してポーランドはもう攻めてこないであろう、決勝トーナメントのドローを睨んでコロンビアは勝ち切りにくるだろう、日本が追いつく可能性よりセネガルが追いつかない可能性の方が高いであろう と監督はクールに判断したのだろう。
だけど ↑は「だろう」「あろう」ばかり、、、
私たちがスポーツに感動するのは、オノレの力の限りを尽くして道を切り開く姿を見るからこそでもあると思うけど、それとはまるで真逆だった。
フェアプレイポイントで進出とは皮肉だ、と皮肉を言いたくなるほど、深いところで「フェアプレイ」に反しているのではないかしら。
ギャンブルを「自分ではコントロールできないことに賭ける」と定義するなら最後の10分間はまさにギャンブル的。「現実的な作戦」と称賛する向きも少なくないようだけど、およそギャンブル的なることを「現実的」とは言わないかと。
1996年アトランタ五輪監督のときグループリーグで2勝(ブラジルを破った「マイアミの奇跡」を含む)しながら決勝トーナメント進出できずの苦い思いを噛み締めた張本人、も付言しなければこれまたフェアでないもしれない。
私は半世紀来のサッカー大ファン、日本代表も大応援しています↓