ミヤシンの映画と読書とスポーツ+馬鹿話

子供の時からミヤシンと呼ばれている男です。本や映画やスポーツやニュース等の感想を短く書きます。2016年1月に始めました(2020年4月にブログタイトルを変更しました)。

『砂の器』

 先週、1974年制作の「砂の器」映画化をCSチャンネルで見ました。1970年代に劇場で観たときには思わなかったことをいくつか・・・
丹波哲郎は断固としてセリフを覚えずカンペを使っていたと言われていますが(「丹波哲郎 カンペ」でネット検索すると数々の「証言」があります)、そういう目で見ると本作でも示されているカンペを読んでいるように何度も見えました。
渥美清出演シーン。「寅さん」が出てきただけで館内大爆笑だった(私も!)ものですが、家テレビではゼンゼン笑いませんでした。もし初見が家だったとしても、せいぜいクスッだけだったことでしょう。それは、映画は劇場で観なきゃ!の理由にもなります。
・療養施設に居るハンセン病元患者自身の承諾は得ず「医師と看護婦立会いのもと」彼に届いていた手紙を丹波刑事が読みました。そのくだりを 当時は制作側も私を含めた大多数の観客も問題とは思わなかったのだなあ、と。ろう者を「欠格」者とする法律が疑問に思われなかったように。

 先月発行された『地図で読む松本清張』でももちろん、『砂の器』は取り上げられています。
 その中で著者の北川清氏による「ハンセン病差別意識」というコラムに「ハンセン病に限らず、特殊な出自、中国や朝鮮などの外国人、身体障害者エイズ患者、そして新型コロナウイルス患者に至るまで、明確な差別意識どころか、むしろ正義感を持って異端とされる人々を排除する国民性は連綿として現代に引き継がれている」というくだりがあります。
 本書は2010年に発行された『松本清張地図帖』に加筆修正された増補版なのですが、『地図で読む~』の「〜そして新型コロナウイルス患者〜」の所が10年前の『~地図帖』では「〜そして新型インフルエンザ患者〜」になっていました。
 まさに10年後の今もなお「〜国民性は連綿として現代に引き継がれてい」る!と、あらためて考えさせられました。
 このコラムは「なお、『砂の器』はハンセン病患者の告発を主題や目的とする物語ではない」と結ばれています。
 この点は『砂の器』を解説するとき極めて重要と思いますが、北川氏のような指摘を明示している評はあまりなかったのではないでしょうか。(1973年発行新潮文庫版『砂の器』の小松伸六氏による巻末解説では「今でこそ特効薬もでき、社会復帰も可能になったが、それでも、そんな身元がわかれば、世間の目は、彼を隔離しないまでも、就職差別、結婚差別をするかもしれない。その点で、『砂の器』は、かなり深刻な社会問題をもっている作品だとおもう」)。

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