行政書士ミヤシンの800字映画評

映画の感想を原稿用紙1〜2枚分でコンパクトに。ときどき書評。たまに・・・。

冷めても旨い 国技館やきとり

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レンジチンしなくても常温でも変わらず旨いスグレモノ。本場所中の国技館内限定?いやいや知る人ぞ知る ↓で売っています。正肉3本つくね2本入り620円。

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⚽️やっぱり! NHK「ロストフの14秒」

www6.nhk.or.jp

今夜放送された、ワールドカップで日本がアディショナルタイムに決勝ゴールを喫した「真実」。

番組ではそれを大きなポイントとは捉えていませんでしたが やはり日本のあのコーナーキックをベルギーは読んでいたのですね。↓「同様の球質でのコロンビア戦 大迫ヘッド決勝点の再現を狙った」 ↓「それをベルギーは研究済み」。もちろん、私だけが言っていたなんて自惚れてはいませんです。
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コーナーキックを蹴った本田に当然NHKは取材を申し込んだでしょうけど、応じなかったということでしょうか。

 

落合博満『戦士の休息』

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打者として三冠王3回、監督としてリーグ優勝4回の著者。⚾️戦士の休息は映画です。
少年時代から観てきた数々の作品を題材にした一冊。

ジェームズ・ボンドには「上背のある恰幅のいい男が適している」。「背中を少し丸めて銃を構えた時のシルエットが生える」から(165頁)。
モノクロの名作をカラーでリメイクするのは避けてほしいが、『ローマの休日』だけはカラーでも見てみたい(125頁)。
こうしたくだりだけでも彼の映画愛の深さが分かろうというもの。

「オレ流」のキモは自分の頭でトコトン考え抜くことにあるのがよく分かります。
映画評映画論に加えて歴史、戦争、現代社会、、、オノレのアタマ(だけ)で徹底的に考えて語る語る。
誰でもちょっとは(又はたくさん)借り物の思考があるものですが、それが見当たりません。
そして野球についても
バッティングの基本はセンター返しという「常識」をうのみにせずグラウンドの形を見ながら考えて納得した(17頁)、等々
実に痛快な一冊です。2013年発行。

メタセコイアの紅葉

東京・水元公園。紅葉は紅葉でもメタセコイアはちょっぴり珍しい。

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バードサンクチュアリーにカワウの群れ。飛翔中の一羽が水面にも写っていた。

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水元公園と言えば、

映画「男はつらいよ」シリーズ25作「寅次郎 ハイビスカスの花」(マドンナは浅丘ルリ子3度目)でおいちゃん・おばちゃん・さくら・ひろし・小学生のみつおがお弁当を持って水元公園に出かけようとしているとき寅さんが久しぶりに「旅」から帰ってきて、、、寅さんに「気を使って」公園行きを隠そうとする例によって例の通りのおもしろドタバタ、結局バレて例によって例の通り寅さんはヘソを曲げる。

という いつまでも子供並みの寅さんをいつまでも子供扱いする「心地よさ」↓

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近くに、しばられ地蔵 

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しばられ地蔵

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東京都葛飾区の南蔵院に在。由来は八代将軍徳川吉宗のときの「大岡裁き」と言い伝えられています。600年の歴史を持つというお寺についてと併せて、詳しくは↓

しばられ地蔵|天台宗 業平山 南蔵院|公式ホームページ|東京都葛飾区にある在原業平氏ゆかりの寺院です

曼荼羅の世界を現したという境内には、

水琴窟。竹筒に耳を近づけると美しい音色が聴こえました。

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水琴窟 - Wikipedia

おにぎり石 も↓

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お持ち帰りに、「金太郎飴の元祖」による しばられ地蔵アメ↓

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勝負の世界は「非情」

きのうJリーグ最終節で、既に優勝を決めているフロンターレジュビロ入れ替え戦に突き落とした。

去年のきょう最終節で、ジュビロアントラーズと引き分けに持ち込んだおかげでフロンターレは初優勝した。

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映画監督ヤンヨンヒ著の2作

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ノンフィクション『兄 かぞくのくに』(小学館、2012年刊の文庫化)と小説『朝鮮大学校物語』(角川書店、2018年刊)。
映画監督である1964年生れの著者ヤンヨンヒは在日二世、父は総連幹部、小学校から朝鮮学校朝鮮大学校で学ぶ、日常会話は日本語、3人の兄は「帰国事業」で北朝鮮へ、、、体験に根ざした心象を分かってもらわずにはおれない!という強い意思が、とても映像的と言えるであろう文章からヒシヒシと伝わりました。
例えばとして、両作から一つずつだけ引用します。

・頭の中で大きなガラスのようなものが割れる音がした(『兄 かぞくのくに』296ページ)。
日本に一時滞在していた末兄から工作員めいた「仕事」を持ちかけられたとき。なお、著者が監督した映画「かぞくのくに」では今をときめく安藤サクラが演じていましたが、まさにこの一文通りの表情でした(これ以上は絶対に出来得ないであろうほどに)。

・温かい心地良さの中にある小さな居心地の悪さのような感覚。柔らかいカシミヤに包まれながら、編み目の中にある棘で刺されるようだ(『朝鮮大学校物語』101ページ)。
大学生のとき日本人であるボーイフレンド裕の行きつけの喫茶店で常連客から「俺たちは国籍とかこだわらないさ」「ナニジンだろうが気にしないし」と言われたとき。後日その時の気持ちを「上から言われているように聞こえるっていうか・・・」「もし私が、裕が日本人でも気にしないよ、って言ったらどう思う?」と裕に。

 

欧米かよ!?

バーガーキングをテイクアウトしました。
おいしい!大きい!そして
トマトやらタマネギやらがポロポロ落ちる。お箸を使いました^^;
アメリカ人て 少々食べにくいストレス感じないのかなあといつも思います。
だから おにぎりってホントにスグレモノとこれまたいつも思います。

おにぎりと言えば↓

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コミックバンド! クレージーキャッツ!

子供のときクレージーキャッツをテレビで見たのが、私がお笑い好きになった最初です。ドリフターズやドンキーカルテッドに続く、コミックバンドの先駆けでした。

幸運にも♬たまたま結成10周年の映像(約35分間)↓を見つけました。1960年代と思われますが、具体的な年月は分かりません。ミュージシャンとしても一流だったという腕が垣間見えます。

7人のうち健在は89歳の犬塚弘だけになりました。

クレージー キャッツ結成 10周年コンサート - YouTube

ハナ肇とクレージーキャッツ - Wikipedia

7年前のきのう 立川談志死去

ふと思い出したのが、、、

談志が東京選挙区の応援演説を街頭でしているとき最前列で熱心に聴いてくれた男がいて 候補者と談志に力一杯握手をして走り去ったバイクは、大宮ナンバーだった

とオモシロおかしく語った 噺のマクラ。

地域の代表ではなく全国民の代表という「正論」との微妙な距離感も含み、談志やっぱりセンス抜群だったね。

これまた目からウロコもの

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本書によると、日本に来たプロテスタント西洋人が奉行所の要求に応じてアッサリ絵踏した、と(裏付け史料がちゃんと示されている)。

聖像に対するプロテスタントのスタンスを思えば、ナルホドたしかに!だけど 考えてみたこともなかった。

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「潜伏キリシタン」 踏絵について

今年ビッグニュースの一つが 「潜伏キリシタン」関連遺産が世界文化遺産登録決定ですが
江戸時代キリシタン弾圧の最たるものと知られているのは踏絵と言っていいと思います。「踏絵」という言葉が今日でも比喩的にしばしば使われるほどに。

先日、東京国立博物館で踏絵用聖像を初めて見ました。
踏絵のため当初は キリシタンから没収した聖画や聖像が使われていたが、1600年代後半それでは間に合わなくなり 奉行所が鋳物師に注文製作させた「聖像」を使うようになった。その「没収物」と「注文物」が両方とも展示されていました。
後者は信仰の対象ではないためキリシタンにとって踏む苦痛が軽減という展示説明文を見て私は、踏絵を強いる奉行所側もまた「苦痛軽減」を認識していたのではないかなあ?とフト思いました。

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去年刊行された歴史学者による『踏絵を踏んだキリシタン』を読んでみると、信仰された聖具から踏ませるための道具へ→キリシタンを捜索する手段から非キリシタンを証明するだけの手段へと形骸化していった、と結論づけられていました。民衆の間に「惰性に近い年中行事」といった意識も生まれ、「潜伏キリシタン」は「絵踏することで(中略)〝教え″を守ることができるため(中略)自ら踏むことを選択した」と。本書表紙は1830年ごろ描かれた踏絵場面(「聖像」写真は「注文物」です)、のどかな光景に見えますよね。

遠藤周作『沈黙』で奉行所役人が「心より、踏めとは言うとらぬ」「ただ形だけのことゆえ、足かけ申したとてお前らの信心に傷はつくまい」と踏絵を求めるシーンがありますが、この小説が描いた時期はまだ「没収物」だけが使われていた1600年代前半です。

展示されていたうち「注文物」を製作した萩原祐佐は、長与善郎『青銅の基督』(岩波文庫、1927年)の主人公になっています。この小説では、製作した「聖像」の出来があまりにも良かったので彼自身がキリシタンと決めつけられて処刑されます。そのことは事実と著者は「付記」で書いていますが、はたして?

 

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