行政書士ミヤシンの800字映画評

映画の感想を原稿用紙1〜2枚分でコンパクトに。ときどき書評。たまに・・・。

「バカボンのママはなぜ美人なのか」

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「あんな『パパ』に、どうしてあれほど美人で聡明でしかも優しそうな女性が奥さんとなったのか。」
と2013年発行の本書序文で著者は書いています。私も、50年ほど前『週刊少年マガジン』で「天才バカボン」を読んでいたときから「バカボンのママはなぜ美人なのか」がずーっと謎でした。。
写真↑下のマスキングテープにバカボンのパパバカボンのママが並んでいますが、パパの方はたしかに「あんな『パパ』」ふう。ママは、いわゆるナンセンスギャグらしいルックスのキャラばかりの中で 際立って美しく見えたものです。

しかし、全5章の中にはバカボンのバの字も出てきません。本書はメインタイトル「バカボンのママはなぜ美人なのか」に直接答えるものではなく サブタイトル「嫉妬の正体」が内容を正しく表しています。柴門ふみ自身や周囲の人が過去に抱いた様々な嫉妬を紹介しながら「嫉妬の正体」を明らかにして、どうすればそれを解消したり克服したりできるのかが考察されました。バカボン絡みが次にやっと出てくるのは後書きで、最初に引用した文に続く「そして、そんな『ママ』を誰も嫉妬しない。」のはなぜか?が示されています。

メインタイトルの「回答」を期待して読んだ私は、正直、拍子抜けでした。だけどよくよく考えたら、「バカボンのママはなぜ美人なのか」なる疑問の「正体」はなんなのでしょうか。あ! 「美人で聡明でしかも優しそうな女性」が妻であるバカボンのパパへの嫉妬? あるいはそれが、本書が教えてくれた、積年の疑問への「回答」でしょうか。

赤塚不二夫キャラグッズいろいろ持ってます

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あのころの少年マガジン↓ 

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柴門ふみ自らの体験をかなり晒け出していますが、やっぱりこのヒトには及ばない(私小説と比べるのはフェアでないけれど)↓ 

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「カメラを止めるな!」が選外とは!? キネマ旬報ベスト・テン

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これほど専門家と一般が乖離しているのも珍しいかも。映画評論家や映画記者たち100人以上の投票によって決する、定評と権威ある「キネマ旬報ベスト・テン」↑。「カメラを止めるな!」が10位までに入らないとは、(私を含めた)少なからぬ映画ファンには信じられないのではないでしょうか。↑でも、読者選出ベストテンでは2位。
 

映画「眠る村」

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知る人ぞ知る?ポレポレ東中野に、初めて行きました。いわゆるミニシアターです。

観たのは、東海テレビ 2018年制作の「眠る村」。名張毒ぶどう酒殺人事件の確定死刑囚は冤罪だったとの立場からのドキュメンタリーです(↓は映画チラシ)。

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事件が起こったのは山あいの小さな集落。冒頭を初めとして何度か上空から写される、わずか数十世帯で住民はほとんどが高齢者というその現景が文字通りタイトル「眠る村」と感じさせる。もちろん、「眠る」は真実に対して半世紀以上「眠って」いる、を含意しているのであろう。

 

てっきりヘビの手触りは

ヌルヌルと思っていたら実はサラサラだそうです。
たしかにあの長い生き物は地面をはい回るのだからヌルヌルだと抵抗が大きくて動きにくくなるようにも思う。
インドでかなり太いヘビの触感はザラザラだった、と友だちが。 ナルホド大蛇ならなおさらザラザラぐらいじゃないとスムーズに進めないかも。


長い間おとなをやっていると思い込みで間違えていることが多くなりがち(ワタシの場合は)。気をつけなきゃね。
ちなみに爬虫類仲間のトカゲは? 子供のころ友達と野っ原を転がって遊んでいたとき触っちゃったらヌルヌルしていた覚えがあるのですが、、、錯覚のタグイかも。

ちなみに、
グーチョキパーじゃん拳の原型的な「とてつる拳」の舞が江戸時代の歌舞伎で演じられてその歌詞に「♪へび ぬらぬら」があった(湯浅淑子「江戸の拳の流行と歌舞伎事情」歌舞伎座パンフレット『二月大歌舞伎』2019年)。「ぬらぬら」は見た目のイメージだけを言ったのか、あるいは昔から手触りもそう想像されていたのか?

萬平と安藤百福氏は =か?≒か?≠か?

もしかしたら、萬平だけが関西弁でないのが「属性の違い」を暗に表わしているのかもかも⁇ 

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安藤サクラ 3度目の主演女優賞

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わずか6年の間(産休期間を含む)で キネマ旬報主演女優賞3度目。「かぞくのくに」のときと「百円の恋」のときと今回は「万引き家族」で。

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朝ドラ主演中 

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『幻の女』書き出し訳文の変遷

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ミステリー小説の古典的名作ウィリアム・アイリッシュ著『幻の女』。あまりにも有名な書き出しの邦訳は3通りあります。
①夜はまだ宵の口だった。そして彼も人生の序の口といったところだった。甘美な夜だったが、彼は苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。
②夜は若く、彼も若かった。が、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。
③夜は若く、彼も若かったが、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。
もっぱら知られているのは③(または②)ですね。訳者は稲葉明雄氏で、②は早川書房1973年『世界ミステリ全集4』(写真↑左)、③(写真↑中)は1994年の文庫版改版時に二文を一文に改められました。2015年に発行された黒原敏行氏の新訳(写真↑右)は、③をそのまま踏襲。
①は、小説誌『宝石』1950年5月号で本作を最初に邦訳した黒沼健氏の訳です。稲葉氏と黒原氏が各々「訳者あとがき」で引用している訳文を引用しました。
訳が変わると日本語としてこなれた文章にするために直訳調から意訳調に改めることが多いと思いますが、本作の場合は逆です。拙ブログ↓に載せた原文を読むと、①から②で意訳調から直訳調と言うより直訳そのものに変わりました。

この稲葉氏訳②③を新訳(写真右)の「訳者あとがき」で黒原氏は、「直訳の奇跡」すなわち「原文どおりに訳して意味を過不足なく伝え、しかも美しい」という「翻訳の理想の形がここに実現」と評しています。

②→③の手直しを施した理由は稲葉氏自身が文庫版「訳者あとがき」で、原文が1920年代ジャズ名曲の歌詞をもじったものなので語調を合わせた、と説明しています。

なお、写真左の「コーネル・ウールリッチ」とはアイリッシュの別名義です。

miyashinkun.hatenablog.comハヤカワポケットミステリ版↓ 

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映画「卒業」のラスト考

1967年制作の「卒業」。言わずと知れた、アメリカンニューシネマ代表作の一つ。サイモン&ガーファンクルの名曲もあまりにも有名ですね。私なぞが今さら言うべきことはないのですが
ラストで、ベンジャミン(ダスティン・ホフマン)が結婚式中のエレイン(キャサリン・ロス)を教会から連れ去るとき 閂代わりに十字架を扉に差し込んで追っ手を阻みましたね。あれ、凄いシーンだとつくづく思います。他ならぬ十字架を「道具」として、しかも乱暴かつ「インモラル」な行為の道具として、ちょうどいい物があったとばかり使う。「ピューリタンが造った国家」たることがアイデンティティでもあろう、敬虔なクリスチャンが多数いる国の映画で。(ニーチェ「神は死んだ」とも相通じるのかどうか?)

詮ない空想ですが、もしもあの教会がカトリックだったとしたらとフト思います。十字架に磔されたキリストが目に入って 少なくとも躊躇したのでは?と。まあ、プロテスタントたることがあのストーリーの「言うまでもない前提」なのでしょうけど。

「不倫の中でもとりわけインモラル」と言えそうな不倫、そもそも教会で結婚式中の花嫁を〜。という「卒業」のような映画があり得たのは 既成秩序への異議申し立ての嵐が世界で吹き荒れた60年代後半だからこそとも言えるのではないでしょうか。

ちなみに、同じくアメリカンニューシネマ代表作の一つ「俺たちに明日はない」(1967年)を観て私は映画好きになりました。
俺たちに明日はない」とソックリなシーンが↓

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般若心経を学ぶために

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現代詩で知られる伊藤比呂美。彼女の詩はワタシには正直チンプンカンプン気味ですが、小説↓とエッセイ↓はとても面白く読んでおります。

「エッセイ+お経+現代語訳」と銘打たれた『読み解き「般若心経」』(2013年)では、詩人たる彼女ならではと言えるであろう般若心経読み解きを披露。本書で、中村元紀野一義訳注『般若心経 金剛般若経』等と共に参考文献に挙げられていたのが

宮坂宥洪『真釈 般若心経』(2004年)。玄奘の漢訳よりも サンスクリット原典そのものに基づいて解釈されています。著者は住職にして仏教学者。

学ぶためには、「真釈〜」→「読み解き〜」の順に読むことをお勧めします。

 

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朝ドラ「まんぷく」

日清食品創業者安藤百福氏が台湾出身たることを捨象しているのはいかがなものかとは思いますが

先週の放送で日清食品創業者(と思しき)萬平が即席ラーメンの原型を着想したとき、説明を聞いた誰も全く理解できませんでした。現代の我々から見るとナゼ理解できないのかが理解できませんが、まあ確かに まるっきり初めて聞いたらそうかもね。

すなわち、人間の本質は保守的で、だからこそ新しいモノコトを魅力的に感じる、とも言えるのかも。

 

福子がどんな人なのかイマイチ分かりません。いつもの新人ヒロインなら人物造形は「おっちょこちょい気味の頑張り屋さん」が定番ですが、当代トップクラスの演技派安藤サクラにそうはいかないだろうしね。 

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観戦ならぬ見物

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相撲中継を見ていると、升席で土俵に背を向けたり横を向いたりして酒を酌み交わしているヒトがときどき映りますね。あれもまた「正しい相撲見物」のスタイルだなあと思います。
本場所に行ったことがある方はご存知の通り、そもそも4人用の升席はかなりコンパクトで 少なくとも横一列に座って土俵を見るのは物理的に不可能。カオを近づけ合って一献傾けるのに最も適したサイズとも言えそうです。
国技館に見に行くと、スポーツたる要素は相撲文化の一部であるのがよく分かります(もちろん最大の構成要素ではあるけれど)。だから私は「相撲見物」と言い、テレビで見るときは「相撲観戦」と使い分けています。
「升席での見物」も伝統文化を構成する一つかと。現代人の体格に合わせて少しは広げているのかもしれませんけど。
桁外れの大男がぶつかり合う桁外れの迫力。江戸時代の人々はまさに「見物」という意識で楽しんでいたのではないでしょうか。「今日は歌舞伎見物、明日は相撲見物」みたいな。
大男の〜と言えば、テレビ観戦では小兵力士の活躍がとても楽しいですが、相撲見物に行くと モチロン小兵も見応えがありますけど 大型または超大型力士こそが相撲の醍醐味と実感します。

コレ↓↓も相撲文化

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「学生百人一首」どの作も瑞々しい

 第32回 東洋大学「現代学生百人一首」入選作品発表 | Toyo University

全国の小中高大の生徒学生たちが詠んだ作です。

↓昨年度

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