ミヤシンの映画と読書とスポーツ+馬鹿話

子供の時からミヤシンと呼ばれている男です。本や映画やスポーツやニュース等の感想を短く書きます。2016年1月に始めました(2020年4月にブログタイトルを変更しました)。

「選べなかった命」

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河合香織『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』 2018年発行

 2014年6月、函館地裁で判決が下された。出生前検査で「染色体異常なし」と診断されたにもかかわらず重篤ダウン症だった子が出生後苦しみながら3か月半で死亡した事態に関する民事訴訟。訴えたのはその子の両親。出生前診断に誤りがなければ「中絶していた可能性が高」く、したがって子が死の苦痛を被ることはなかった、という主張である。被告は出生前診断を行った医師であった。

 公判が始まったときから著者は取材を重ねる。出生前診断技法の「進歩」、過去の類似訴訟、優生保護法母体保護法、世界と日本の優生思想の歴史等々について調べながら。

 著者は、出発点の立ち位置を明確に記している。その子が生まれたのと同時期、彼女自身も妊娠中だった。子がダウン症等の疾患を持つ可能性があると医師から告げられたが、「障害があろうとなかろうと、命に軽重はないという信念」で検査を受けなかった。しかし、出産が近づくにつれて、その信念は揺らぎに揺らぐ。「きれい事を言っていた自分を恥じた」。生まれた子に先天性の病気はなかった。

 もう一つの出発点。最初にこの裁判に関する新聞記事を読んだ時、母親を批判する人たちと同様に著者は「すでにこの世に生まれた子どもを出産するか中絶するか自己決定する権利を奪われたと訴えるとは、どのような母親だろうか」と感じた。「そうではないと直感した」のは、訴訟技術上言い切った方が有利なので「(ダウン症だとわかれば)中絶していた」と書かれていた訴状が弁護士への母親の懇願により「中絶していた蓋然性が高い」と書き直されたと知った時である。

 取材を進め、考察を深めていく。直感は当たっていた。何かを肯定したり否定したりできるような、分かりやすすぎる話ではなかった。

 著者は母親に迎合はせず寄り添いながら長時間聞き取ったであろうことが文面から行間から読み取れる。そのような著者だからこそ、読者が深く考えさせられる作が出来得たと言えるだろう。

   本作のタイトルはまさに、「選ばれなかった」ではなく「選べなかった」でなければならないと思う。

   私自身もそうであったように妊娠がわかったとき親として誰でも「五体満足な子が生まれてほしい」と願うのは、裏を返せばどういうことなのかという問いも本作は投げかける。

   これまた私自身も直面した、意識不明の高齢者への延命治療は? も本作の射程に入るだろう。

   何年か前「イスラム国」に惨殺された日本人二人のうちジャーナリストたる一人だけが称賛されたとき「等しく悼まれるべきでは?」と私が覚えた違和感↓も同根かもしれない。

   本作は、今年度大宅壮一ノンフィクション賞を↓↓と同時受賞。

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