今年2月に54歳で急逝した西村賢太氏。月刊『文學界』に連載中だった『雨滴は続く』が5月30日に文藝春秋社から発行されました。
いつもながら、氏自身と思しき私小説家 北町貫多が主人公の私小説。
いつもと違うのは分量です。短編が多く、長編でも最長200ページほどでしたが、本作は約480ページ(しかも未完)。
貫多が文芸誌でデビューした、37歳から38歳までの一年間ほどが綴られています。
例によって例のごとく、心の揺れ(という言いようでは美しすぎるほどに、それは黒さも黒し真っ黒黒)がタップリ書き込まれました。もちろんロクデナシにしてクズな言動も。
これまた例によって、なんとも言えないユーモア(と評するのもまた違うかもしれないが)も漂います。
20代前半の女性記者に「岡惚れ」するくだり。本作の読者全員が読み取れる通りに女性記者は貫多を恋愛対象とは全く捉えていません(貫多が女性を「求める」ワケからすると恋愛という言葉も美しすぎるが)。
なので小当たりするたび貫多にはつれないと感じられる反応ですが、彼女は相手の気持ちを忖度しない大陸的な性格かも? 恋の駆け引きのつもりか? などとクドクドつべこべエンエンと的外れな推量。笑いました。
ここ2年ほど新作が出ないなと思っていたら、いきなり、西村氏の小説を全作読み終えたことになってしまいました。
本作は全体が長い上に中身にクドいところも少なくないですが、それがまた「もう読めないんだなあ」という淋しくも名残惜しさを催す味になっています(図らずも、ですが)。
そしてクドいのに飽きることなど一切なくドンドン読み進みたくなる、余人をもって代え難い文章力は流石!の一語に尽きます。
誇張含みにせよオノレのロクデナシをこれでもかこれでもかと書き尽くす理由や、原稿は音読する等自身の小説作法について明かしているのは「遺作」に相応しいと言えるかもしれません。
私が西村私小説を好むのは↓