ミヤシンの映画と読書とスポーツ+馬鹿話

子供の時からミヤシンと呼ばれている男です。本や映画やスポーツやニュース等の感想を短く書きます。2016年1月に始めました(2020年4月にブログタイトルを変更しました)。

映画「私だけ聴こえる」


 
コーダ(CODAChildren Of Deaf Adults)とは、耳の聞こえない親から生まれた耳の聞こえる子。米国における若い女性コーダ4人の心の揺れを追うドキュメンタリー映画です。

 4人の一人、5代続くろうの家族に生まれたナイラさんのとても印象的な言「ずっと、ろうになりたかった」。
 ろう者と聴者の狭間で「居場所」がない!という心の叫びとまでしか私にはわかりませんでしたが、上映後の舞台挨拶で松井至監督が質問に答える中でこの「ずっと、ろうに〜」という言葉に含まれる真意について話してくれました。
 「私たち聴者は身体の機能が欠けているのになぜ?と思ってしまいますが、目を合わさず話す聴者のコミュニケーションは冷たく感じられるのに対して
 互いに見つめ合いながらのろう者のそれは温かいともナイラさんは言っていました」と。


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人の一人アシュリーさんとの出会いが米国のコーダを撮ることになったきっかけとのこと。東日本大震災のときのろう者をテーマにしたNHKワールドの番組を松井監督が制作したとき、取材スタッフに加わりました。

 アメリカ手話の手話通訳士であり、日本の手話(※1)もできるアシュリーさん。東日本大震災のとき「情報弱者」たるろう両親に避難を促しに駆けつけたコーダに彼女がインタビューする場面が映画序盤でありますが、(音声言語としての)母国語が異なる同士の「共通語」として手話(日本の手話)が使われたシーンは本作で忘れ難い一つです(※2)。(緊急事態に備えてコーダはろう親の近くに住むというナレーションも入りました。)

(※1)わが国には日本手話と日本語対応手話の二つがありますが、手話学習中の聴者である私は両者の違いを十分理解できていないので「日本の手話」と記しました。

(※2)本作の中でアメリカ手話がふんだんに出てきますが、「見る(見せる)言語」だからでしょうか、英語と日本語のそれよりも日本の手話との違いはずーっと小さいように感じました。


 渋谷のシアター・イメージフォーラムで上映中。日本のコーダを追う映画も計画しているとのことです(松井監督が舞台挨拶で質問に答えて)。


 生まれた子が聴者と分かった時のろう親の落胆、妊娠したコーダが「生まれる子がろう者だったら?」という葛藤は、コーダが主人公の
 丸山正樹氏による(ろう者とコーダに十全たる取材をされたであろう)小説でも書き込まれていました

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