ミヤシンの映画と読書とスポーツ+馬鹿話

子供の時からミヤシンと呼ばれている男です。本や映画やスポーツやニュース等の感想を短く書きます。2016年1月に始めました(2020年4月にブログタイトルを変更しました)。

人間はなぜ宗教を?

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    おおぜいの日本人と同じく特定の信仰を持たない私。だが、コロナ禍のなか大相撲春場所が完遂できたのは力士の四股が「邪悪なもの」を押さえ込んだからと少なからず思える。また、もしも「神様の姿をイメージするとしたら?」と問われたら (神を信じている意識がないにもかかわらず)多くの日本人同様に「白髪白髭のおじいさん」が思い浮かぶ。

    レザー・アスラン著(白須英子訳)『人類はなぜ〈神〉を生み出したのか?』2020年2月発行(原著は2017年)。
    本書のタイトルは
①人類はなぜ宗教感情を持つのか?
②人類はなぜ神を生み出したのか?
③人類はなぜ神を人間の姿でイメージするのか?
という3つの疑問を包含。人類史がそう進む通りに(原題は「GOD : A HUMAN HISTORY」)、本書は①→②→③の順に論考を進める。②③には、なぜ多神教の中から一神教が登場したのか?、が含まれる。
    私自身の四股のくだりは①、神様イメージは③が当てはまっている。

    宗教学者である著者が認知科学や考古学等々他分野も含めて数多くの学説も引用しながらの論考。私なりに①〜③各々のサワリをちょっとだけ。
①についての様々な学説はどれもこの疑問に対する回答になっていない。原初は「肉体と別に魂がある」という信仰としてだった、宗教感情は生得的と言う他ない。それはホモ・サピエンス以前にも遡り、ネアンデルタール人が築いた祭壇のようなものが発見されている。
②人類が初めて思いついた神概念の一つが狩猟を司る「獣たちの王」。
③人間が自然を支配しなければならない農耕生活に移行したため、人間の姿をした神々が生み出されて大地を司る神々となった。そして、多神教ユダヤ教キリスト教イスラム教がそれぞれ前段階のアンチテーゼとして誕生。

    本書が取り組んだ疑問は著者自身の信仰にとってのテーマでもある。「〈神〉と私との間にあると想像していた隔たりを(中略)埋めることに自分の心の旅路の大半を費やしてきた」。
    そしてイスラム教→キリスト教イスラム教と歩んできた信仰の「旅路」は汎神論に至り「今の私は、自分と〈神〉との間の区別はないのだから、したがって隔たりもないと信じている」と述べる。しかし、(原題通りに人類の歴史そのものである)宗教について知識を得たいと思っているが 真摯な信仰は持たない私にはその「旅路」を合点することはできなかった。
    だからこそでもあり、四股の「力」のような超自然的な物事を信じるのは何故かという疑問は私の中でいっそう膨らむ。やはり、他の生き物から分かつ人間とは何かのアプリオリな定義としか言いようがないのか。

 

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