同年代のあいだでは結婚何周年の話題がときどき出ますが
刊行された2012年に評判になった三木卓『K』は
「Kのことを書く。Kとはぼくの死んだ配偶者で~」と書き出され
何十年間も夫婦であった妻に対する心情と
夫が想像する、妻の心情が綴られています。
二人とも作家で「創作のために」長く別居するなど私どもとは全然共通性がない話も、所々で覚えた共感(およそ夫婦の普遍性?)も、全体にわたって読み応えがありました。
幕内の新鋭、正代が3年前に卒業した東農大相撲部。
見事!な股割り
むかしテレビで サッカー女子日本代表佐々木監督が「蹴る瞬間は必ず片足で立っている。四股とサッカーは片足でバランスを保つのが共通している」と言っていました。
なんとなく平野啓一郎は難解(文章も内容も)と思い込んでいたが、本作は さにあらず だった。新聞小説だからか やっぱり単なる思い込みだったか。
ひとことで言うとしたら、恋愛小説。アラフォー同士の、クラシックギタリストの彼と、フランス通信社の記者である クロアチア人とのハーフの彼女との。
すれ違い を軸に進む。『君の名は』(「真知子巻き」のほうね)ほか恋愛物の 定石と言えるだろう すれ違いは 携帯電話の普及で禁じ手になったとも言われるが、本作では携帯電話が有るがゆえに すれ違う。
一般的な「未来は変えられるが 過去は変えられない」とは真逆の、序盤で彼が語る「未来は常に過去を変えている。変えられるとも言えるし 変わってしまうとも言える。過去はそれくらい繊細で感じやすいもの」が 全体を通しての(二人以外の登場人物にとっても)キーになっている。
「マチネの終わりに」展開するラストがとてもとても美しい。
読んでよかった!と心から思える一冊。今年4月発刊。
※今ヒット中『君の名は。』のすれ違い は意味が違うようですね。
即席ラーメン界の私的MVPは「サッポロ一番」です。他の銘柄とはなんか違うんだよなあ(私、けっしてマワシモノではございません)。味の好みは みそ≧しょうゆ>>しお。
中坊のとき、袋から四角いモノを引っ張り出し粉末スープを振りかけてバリバリと貪り食らったほどです^^;(このバアイはしょうゆがイチバン)。
即席ラーメン、というコトバも好き!
3Dプリンターで作った宿(ヤド)で暮らす宿借り(ヤドカリ)です↑。アーチストのAKI INOMATAさんが作成。池袋のサンシャイン水族館で特別展示↓されていました(9月25日まで)。
http://co.sunshinecity.co.jp/news-release/pdf/mecg160708_dory2.pdf
INOMATAさんの公式サイト↓によると「CTスキャンで自然の貝殻の内部構造を計測し、3DCGで制作したデータを3Dプリンターで出力」。ヤドカリが「気に入」ったら入ってくれるとのことです。サイト↓に、ハッキリ分かる画像と映像があります。
オマケ♬ 空中?を泳ぐアシカ
タイトルを見てどんな中身を想像されるでしょうか。社会学の専門書(とは思わないでしょうけど)? 社会学の一般書? 社会学者による軽めのエッセイ?
どれも違います。
1967年生まれの社会学者たる著者が行なうたくさんの聞き取り調査で得られた語りには 研究の題材には至らない様々な「断片」がある、、、それをとっかかりにして考えを深めると言うより思いを巡らした一冊です。著者の心の揺れそのままに文中「わからない」が何度も出てきます。(聞き取りはあらゆる階層の人に行なっているとのことですが、本書で取り上げられた「断片」は全ていわゆる「下流」です。)
自由とは? 自分とは? 人と人との繋がりとは? ふつうとは?(芥川賞『コンビニ人間』とは別の角度から) マイノリティとは?そしてマジョリティとは?
著者とともに、大いに考えさせられました。
2015年発行。
米国映画「追憶」を約35年ぶりで観て
感じたコトを一つだけ、、、
1940〜50年代、レッドフォードとストライザント演じる夫婦。リベラルにしていわゆる自由業同士。しかし(と言うのも変だけど)、炊事は当然のように妻だけが。政治に疑問持ちまくりだった妻もソレにはなんの疑問も持たないテイで。
ウーマンリブ運動よりかなり前の時代(の米国)はそうであった、ということなのでしょう。
正直ワタシ自身、35年前に観た時はココにひっかかりを覚えなかったよなあ。日本のその「時代はそうであった、ということなのでしょう。」(今は?)
「the way we were」の、これ以上はないほどの邦題と思います。
主人公エイリシュの、嬉しいときも悲しいときもまっすぐな眼差しが心に残る。
アイルランドの小さな町で1950年代前半、母親とは多少の確執がありながらも家族と平穏に暮らしていた内気ぎみのハイティーン娘エイリシュ。どんよりした「狭い世界」から脱しようと姉の後押しを受けニューヨークに渡り、デパートで働き始める。
当初はホームシックに襲われ悩み苦しむが、身元引受人的な神父の計らいで通い始めた大学の勉強にやりがいを見出したのと相まって仕事にも自信を深めていく。そして、地味だが人間味溢れるトニーと恋人同士に。
そんなとき、敬愛してやまない姉の訃報が届く。葬儀のため帰郷。たまたま親友の結婚式が近づいていて、しばらく滞在することになる。
姉急逝で悲嘆を、帰郷直前トニーと「まだ二人だけの秘密」で結婚したときは幸福感を、私は共有できた。起伏に富む右肩上がりストーリー。帰郷後、転調する。
町は変わらずどんよりしていた。が、まっすぐな目はそのままながらも、だんだん馴染んでゆく。最愛の人が待ち、学位を得て大チャンスが開けそうなブルックリンに戻るか否かが悩ましいほどの、「閉鎖社会」の引力。
老いた母を一人残すことになる葛藤と、(トニーと正反対に)経済的に安定していて教養のあるジムからの求婚。ここは、ありがちな「条件のよい男性があとから現れて」だけではない心の揺れをもっと描き込んでほしかった。「いなかの陰湿」を体現するようなバイト先店長もややステレオタイプか。渡米のときも帰米のときも店長への憤りが決心を促すと共に彼女の成長を端的に表すことになる、キーパーソンではあるが。
50年代前半アメリカにおけるアイルランド人のネガティブな状況が示される。61年1月のケネディ大統領登場はやはりとてつもない出来事だったのだろう、とふと思った。