和歌山アドベンチャーワールドの8月生まれ、「彩浜」。
黒柳徹子さん曰く、この世で一番可愛いのはパンダの赤ちゃん。大人パンダもモチロン可愛いけど それよりもいっそう!、と。
miyashinkunこと私の映画記事の とても見やすい一覧をつくってくださいました↑。ジャバ・ザ・ハットリさんがつくられた 素敵なサイト「ホット チリ レビューズ」において、です。
ハットリさんご自身による、サイト作成のお知らせ「はてなブログにある映画の感想を人工知能で集めてウェブサイトを作った」↓。「わりと映画のレビュー好きである。単なる映画好きとはちょっと異なる。あくまで『映画のレビュー』好き。」とか「『アクション映画のランキング』というのはどこの映画サイトでも手に入る。 でも『アクション映画のブロガーランキング』というのはおそらくホット チリ レビューズでしか手に入らない。」とかエッジの効いた文が連なっています↓。
あ、映画ブログを謳っているのに48件だけ!? にはツッコまない方向でお願いいたします^^;
今夜放送された、ワールドカップで日本がアディショナルタイムに決勝ゴールを喫した「真実」。
番組ではそれを大きなポイントとは捉えていませんでしたが やはり日本のあのコーナーキックをベルギーは読んでいたのですね。↓「同様の球質でのコロンビア戦 大迫ヘッド決勝点の再現を狙った」 ↓「それをベルギーは研究済み」。もちろん、私だけが言っていたなんて自惚れてはいませんです。
miyashinkun.hatenablog.com
コーナーキックを蹴った本田に当然NHKは取材を申し込んだでしょうけど、応じなかったということでしょうか。
著者は打者として三冠王3回、監督としてリーグ優勝4回。そんな⚾️戦士の休息は映画です。
少年時代から観てきた数々の映画作品を題材にした一冊。
ジェームズ・ボンドには「上背のある恰幅のいい男が適している」。「背中を少し丸めて銃を構えた時のシルエットが生える」から(165頁)。
モノクロの名作をカラーでリメイクするのは避けてほしいが、『ローマの休日』だけはカラーでも見てみたい(125頁)。
こうしたくだりだけでも氏の映画愛の深さが分かろうというもの。
読んでいて、「オレ流」のキモは自分の頭でトコトン考え抜くことにあるのがよく分かります。
映画評映画論に加えて歴史、戦争、現代社会、、、オノレのアタマ(だけ)で徹底的に考えて語る語る。
誰でもちょっとは(又はたくさん)借り物の思考があるものですが、それが見当たりません。
そして野球についても。バッティングの基本はセンター返しという「常識」をうのみにせずグラウンドの形を見ながら考えて納得した(17頁)等々。
実に痛快な一冊です。『戦士の休息』、岩波書店、2013年発行。
東京・水元公園。紅葉は紅葉でもメタセコイアはちょっぴり珍しい。
バードサンクチュアリーにカワウの群れ。飛翔中の一羽が水面にも写っていた。
水元公園と言えば、
映画「男はつらいよ」シリーズ25作「寅次郎 ハイビスカスの花」(マドンナは浅丘ルリ子3度目)でおいちゃん・おばちゃん・さくら・ひろし・小学生のみつおがお弁当を持って水元公園に出かけようとしているとき寅さんが久しぶりに「旅」から帰ってきて、、、寅さんに「気を使って」公園行きを隠そうとする例によって例の通りのおもしろドタバタ、結局バレて例によって例の通り寅さんはヘソを曲げる。
という いつまでも子供並みの寅さんをいつまでも子供扱いする「心地よさ」↓
近くに、しばられ地蔵
ノンフィクション『兄 かぞくのくに』(小学館、2012年刊の文庫化)と小説『朝鮮大学校物語』(角川書店、2018年刊)。
映画監督である1964年生れの著者ヤンヨンヒは在日二世、父は総連幹部、小学校から朝鮮学校→朝鮮大学校で学ぶ、日常会話は日本語、3人の兄は「帰国事業」で北朝鮮へ、、、体験に根ざした心象を分かってもらわずにはおれない!という強い意思が、とても映像的と言えるであろう文章からヒシヒシと伝わりました。
例えばとして、両作から一つずつだけ引用します。
・頭の中で大きなガラスのようなものが割れる音がした(『兄 かぞくのくに』296ページ)。
日本に一時滞在していた末兄から工作員めいた「仕事」を持ちかけられたとき。なお、著者が監督した映画「かぞくのくに」では今をときめく安藤サクラが演じていましたが、まさにこの一文通りの表情でした(これ以上は絶対に出来得ないであろうほどに)。
・温かい心地良さの中にある小さな居心地の悪さのような感覚。柔らかいカシミヤに包まれながら、編み目の中にある棘で刺されるようだ(『朝鮮大学校物語』101ページ)。
大学生のとき日本人であるボーイフレンド裕の行きつけの喫茶店で常連客から「俺たちは国籍とかこだわらないさ」「ナニジンだろうが気にしないし」と言われたとき。後日その時の気持ちを「上から言われているように聞こえるっていうか・・・」「もし私が、裕が日本人でも気にしないよ、って言ったらどう思う?」と裕に。
子供のときクレージーキャッツをテレビで見たのが、私がお笑い好きになった最初です。ドリフターズやドンキーカルテッドに続く、コミックバンドの先駆けでした。
幸運にも♬たまたま結成10周年の映像(約35分間)↓を見つけました。1960年代と思われますが、具体的な年月は分かりません。ミュージシャンとしても一流だったという腕が垣間見えます。
7人のうち健在は89歳の犬塚弘だけになりました。
ふと思い出したのが、、、
談志が東京選挙区の応援演説を街頭でしているとき最前列で熱心に聴いてくれた男がいて 候補者と談志に力一杯握手をして走り去ったバイクは、大宮ナンバーだった
とオモシロおかしく語った 噺のマクラ。
地域の代表ではなく全国民の代表という「正論」との微妙な距離感も含み、談志やっぱりセンス抜群だったね。