「小春寒 もすこし生きて いたくなる」
ガンを告知されて4ヶ月後そして死の6ヶ月前の、1987年11月25日に著者が詠んだ句です。
1987年7月3日から(告知翌日の7月30日には「(当時の平均寿命も10年ほど先であり)いうまでもないが、いままで私は、まだ当分生きているつもりでいた」)1988年5月2日までは著者自身が綴り、5月3日から10日の「四時起床、三十六・二度、六十キロ」までは著者が残したメモ、そのあと25日「六時四十分、盲腸がんにより永眠」までを家族が記しました。
10月18日に妻に語った「人は、死んだ瞬間、ただの物質 〜 まったくのゴミみたいなものと化して、意識のようなものは残らないだろうよ」から採られたタイトルと「巨悪と闘った検事の最後の闘い」なる惹句からは「強さ」のようなイメージが感じ取れるかもしれませんが、読み終えて私の心に残ったのは「優しさ」です。短い余命が定まっていて進行する病で身体が辛い人間がここまで家族や友人や同僚を思いやれるものか、と。それもまた「強さ」なのでしょうね。