1960年代終わりからから80年代初めにかけてアフリカのコンゴに在った、日本企業が経営する鉱山でのこと。
男性日本人従業員とコンゴ人女性との間に生まれた子たちが置いていかれた。
2010年代、朝日新聞アフリカ特派員の三浦英之は取材を進める。コンゴで、そして日本に出張して。
今や壮年になっている子どもたち(一様に「父に会いたい」)、その母親たち、彼ら彼女らを支援するコンゴ在住日本人、当時その鉱山で勤務していた日本人たち、件の企業(は「子どもの存在」を認めない)、日本大使館、そして父親にも接触を試みる。
致命的なほど資源が乏しいため海外に求めるしかない日本、19世紀に西欧が引いた国境線に起因して紛争が絶えないアフリカ、ワイロが横行する社会、当時鉱山での日本人従業員の劣悪な生活環境、(取材を始めたきっかけは西欧TVの報道だったが)有力マスコミでさえ西欧記者の取材の「甘さ」。
マクロミクロ様々な事も浮き彫りになった。
どう捉えるべきかどう報じるべきか思考と感情を巡らせながら取材を続けるも、記事化は認められず。
思い余ってツイッターで発信した著者は会社から「処分」を受けた・・・
370ページを一気に読み終えました。2022年10月発行。