むかし『僕って何』ちゅう芥川賞小説がありましたが、そのことはカンケイありません。
この党のヒトってヤサ男もコワモテもそしてかの創始者も誰も彼も一人称が「僕」ですよね。個人的には少なからぬ違和感があります。公の場では「私」!、と新入社員のとき叩き込まれて現在に至っている私には。
一人称あれこれ↓
けさ朝日新聞スポーツ面「憲剛40歳 決勝弾 惑わず狙った 川崎12連勝」との記事で、チームメイトの家長選手が「選手、クラブ、サポーターにとっても代えがきかない。川崎フロンターレは憲剛さんそのもの」とコメントしている。
まさに!
18年間にわたってフロンターレの中心であり続けた実力については今さら言うまでもない。それに加えて私たちサポーターを魅了してやまないのは人柄である。
昨夜試合後のヒーローインタビューで「バースデーゴールを狙っていました!」と嫌味その他何らネガティヴな印象を与えることなく語る、その人柄。
後援会の会報で「ケンゴさんはいい人イメージだけど、案外黒いところもあります」と若手からイジられたりもする。その若手コメントはもちろんウケ狙いであり、それほどに身近な人から親しまれているということに他ならない。
そんなケンゴ、フロンターレがあと一歩でタイトルを逃し続けていた数年前「これってやっぱりオレが悪いのか」と口にした。
キャプテンが若手にイジられるような和やかなムードを作っている自分がチームの瀬戸際での厳しさを阻んでいる、との悩みだったのであろう。そんな姿が私たちをたまらなく感情移入させるのだ。
勝負師としてプラスなことではないだろうが、ケンゴは表情豊か。私が鮮明に覚えているのは、テレビで見た2010年ワールドカップ決勝トーナメント1回戦。
後半35分タッチラインの外で交代を待つケンゴの顔は、人がまなじりを決した顔というのはこれを言うのだ!であった。
延長戦に至った40分間が、ケンゴにとって最初で最後のワールドカップ出場機会になった。
ケンゴは今日、今シーズン限りでの引退を発表。昨日の試合を見る限り、まだまだ出来そうに見えたが。件の朝日記事も「不惑の背番号14は歩みを止めない」と結ばれている。
「チームメイトには今日、引退を告げた」とのこと(「スポーツ報知」記事)だが、昨日の前半にフロンターレがPKを得て家長がキッカーをケンゴに譲ろうとしているように見えるシーンがあった。そうだとしてもバースデーゴールのチャンスを!ということだとは思うが、ケンゴが表情豊かだけにひょっとしたら34歳ベテラン家長は何かを感じ取っていたのか。「フロンターレは憲剛さんそのもの」と記事でコメントした家長は。
(11月2日追記・Youtubeでアップされている引退発表会見によると、試合の数日前に家長を含む何人かの選手には引退の意向を伝えていたとのことです。)
昨夜の試合を見に行きました↓
初タイトルの瞬間、ピッチ上で泣き崩れた↓
#ケンゴありがとう
生まれてから首都圏在住の私は小岩井飲料の自販機を銭湯でしか見たことがない気がしますが、ルーツ県の岩手では↑のほか 泊まった旅館にもありました。
「フルーツ牛乳」は今月末で販売終了とのこと↓。旅館のほうの自販機は24日に、下から三段目のソレが品切れになっていました。
旅行や出張で世界中アチコチ行かれている方々には特段珍しくないかも ですが
360度見渡しても 何も無い という経験が一度だけあります。
40年ほど前、伊豆大島の三原山。草木も生き物も(見えざる微生物はいたでしょうが)もちろん人工物も なーんにも無い。そのときはナゼか観光客も他にいなかった。
おまけにそのテイストにピッタリ!のどんより曇り空(ネット拝借↓よりはるかに)。哲学的な?キモチになったものです。
三原山は日本で唯一の沙漠ですね(砂丘なら 鳥取砂丘他幾つかあります)。
片手で数えるだけの海外経験の中でサハラ沙漠は市内だけだったので、、、紀元前に造られた人工物が見えました(まあソレを見に行ったんだけどね)。
紀元前の人工物の向いにマクドナルド店がありました。
ちなみに
「砂漠」ではなく「沙漠」と書くべき、なぜなら砂が多いからではなく水が少ないから、と高校の地理で習いました。実際、三原山での地面は砂ではありませんでした。
桃太郎に鬼たちがコテンパンにやっつけられてから、鬼ヶ島の「後日談」。
やがて、本土から小舟でやってきた人間の子供たちと鬼の子供たちが友達になり
さらに何年もたつと、大人どうしも交流するようになり
年を取った桃太郎も「(鬼退治のときは)ちょっと やりすぎたよ ごめんよ」
本土と鬼ヶ島に橋が架かりました。
『それからのおにがしま』文・川崎洋 絵・国松エリカ 岩崎書店 2004年発行
「分断」が深まっていると言われる今、示唆深い絵本です。
「橋」が象徴するものは?
そして子供。いつも思うのですが、言うまでもなく人は生まれたとき一切の偏見を持っていません。それを大人が直接間接に(現代ではインターネットを含めて)教えているに他ならないのだ、と改めて考えさせられました。
たまに絵本も読みます↓
馳星周『ソウルメイト』を読み終えました。
タイトルのソウルメイトー「心の友」いや「魂の伴」とでも言うべきかーとは犬と飼い主たる人間のこと。
チワワ、ボルゾイ、柴、ウェルシュ・コーギー・ペンブローク、ジャーマン・シェパード・ドッグ、ジャック・ラッセル・テリア、バーニーズ・マウンテン・ドッグがそれぞれ「主人公」の短編集です。
馳星周氏と言えばバイオレンス小説と私は認識していました。20年ほど前に読んだことがあり、一冊でいいやと思ったものです。
なのでハートウオーミングな犬モノという触れ込みの『少年と犬』で今年直木賞を受賞したとき、個人的にはとても驚きました。ところが、本書に収められた7編は2011〜2012年に小説誌で発表された作です。つまり犬モノは10年選手なのですね。不明を恥じる次第です。
7編どの作にも犬の素晴らしさ、犬と暮らす素晴らしさが溢れています。(『文藝春秋』10月号に氏が寄稿した一文によると)氏自身が長年多頭飼いしている、バーニーズ・マウンテン・ドッグが「主人公」の作に犬に寄せる氏の熱い思いがとりわけ感じられました。
私が唯一飼ったことがある犬ウェルシュ・コーギー・ペンブローク↓が「主人公」の作では、「やんちゃ」で知られるコーギーあるある!が随所に表されていました。
「なぜ全く関係ないとお考えになるのですか」「6人の学説が総合的俯瞰的な活動に悖るのですか」と掘り下げないのだろうか? もしかして一問一答完結で追加質問NGという「ルール」でもあるのだろうか?(およそジャーナリストならそないな「ルール」はあるはずないはずだが)
この本は今年4月に増刷されたので表紙裏の著者略歴に「ー2020」となっています。この3月に新型コロナで亡くなりました。
1998年刊行の『変なおじさん』と2000年刊行の『変なおじさんリタ〜ンズ』を合本して2002年に発行された文庫です。
2,3ページほどの短い文章を連ねたエッセイ集です。
東京の東村山での生い立ち、ドリフターズの付き人に、「8時だョ!全員集合」を始めとするテレビ番組のこと、ドリフの面々ほか芸人たちのアレコレ(お笑いビッグ3についても)、コントとは?お笑いとは?
大いに楽しませてもらえます。読者が喜ぶであろうエピソードを選びに選び 面白い書きようを練りに練られているからでしょう。その苦心や腐心についても綴られている、著者のライフワークたるコントの作り込みさながらに。
軽〜いタッチなのでそのような「努力」の跡が見えないのも、彼のコントと同じです。
独身を通した(ことになった)著者。子供が欲しい願望を綴ったくだりで「もう50歳になっちゃったからなあ。子供が20歳になったら、僕は70歳だ。それもきついな」。急逝したとき、満70歳でした。
この春Stay Homeのとき、CSで再放送されていた1980年代前半の「ドリフ大爆笑」を何度も見ました。
今と比べて鮮明度が低いややぼやけ気味の画面も相まってかもしれませんが、アナログ的と言うか昭和的と言うかのつくりゆえか、ささくれ立ちがちだった気持ちに癒し効果がありました。
PTA眉ひそめる系の「下品」もた〜くさんありましたが。
日本学術会議法( http://www.scj.go.jp/ja/scj/kisoku/01.pdf )
第七条2 会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。
第十七条 日本学術会議は、~、優れた研究又は業績のある科学者のうち会員の候補者を選考し、~ 内閣総理大臣に推薦するものとする。
第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免 ~。
↓の小説では、パラレルワールドの近未来で 非民主的な政府に対して「国民のために」国事行為が拒まれます。
それとこれとはリアルとフィクションの違いも含めてモチロンまるで異なりますが、ある意味でテーマが共通しているとも言えそうです。