「国民の誤解を招くという意味において~」
この場合それは正しい言いようではないこと、かえって国民の反感をそれこそ招くだろうことを 首相もわかっていたのではないでしょうか。潔く詫びることができない人は著名人一般人の別なく世の中に少なくありません。そのとき「誤解を招いた」は常套句の一つです。ああ首相もそういう人の一人なのかなあと思うと、残念な気持ちになりました。我らが首相たる方は大きい人間であってほしいですから。
「〜において」に続く「真摯に反省を致しております」という、政治リーダーからはまず聞かれない率直な言が台無しになっちゃった感もあります。
メルケル首相が物理学を志したワケは・・・
村上春樹の新作『一人称単数』
宮崎学『動物たちのビックリ事件簿』シリーズ
野山で都会で四季折々の動物たち。たくさんのビックリな生態を 写真家の宮崎学が写真と文で表しました。2014年、農山漁村文化協会発行。
ほんの三例だけ中身を少し紹介します。
・キツツキは、虫を捕食するためと子育て用の巣と目的別に穴を掘る木を選び分けている。かつて「木を枯らしてしまう悪い鳥」とも言われていたが、実際は木に穴を掘ることによって豊かな森の形成に一役買っている。
・野山の地中に張り巡らされたトンネルはモグラとノネズミの「合作」だが、これまた豊かな森の形成に資している。
・誰もが知っている童謡「七つの子」(♪からす なぜ鳴くの~)でも歌われているようにカラスの巣は人里離れていたものだが、今や市街地のど真ん中にも巣を作る。
といったことが写真で証明されています。
そして、たまらなく愉快な生態は②巻の表紙と18~19ページで撮られているツキノワグマの「決定的瞬間」でした。
先日Eテレ「日曜美術館」でも紹介された宮崎学氏、シリアスとユーモアのバランスが余人をもって代え難いほどに素晴らしいなあと思います。
本シリーズは文章も内容も軽いタッチですが、こちら↓は「重い」作。
「電線音頭」等で人気の小松政夫さん死去
野生動物は死んだらどうなるか
『死 Death in Nature 宮崎学写真集』、写真と文は宮崎学、1994年発行。
宮崎学氏は先日のEテレ「日曜美術館」でも紹介されていた写真家です。
亜高山帯(山地帯と高山帯との間)の森。
9月なかば、一匹のニホンカモシカが死んでいた。死臭(腐敗臭)が「死を自然界に知らせるサイン」となり、まず昆虫がとりつく。一週間ほど経ってからはタヌキが貪り食べる。
約一か月で白骨化。残った体毛をモモンガが巣に使うため持ち帰った。
冬の日本アルプス。
1月半ばすぎ、雪の表面にシカの死体が僅かに見えている。この季節には昆虫はいないが、かすかに死臭が漂うのか肉食獣が「偵察」に来た足跡が雪の上に残っている。
三週間ほど経ち、まず食らいついたのはタヌキ。そのあとテンやキツネやカケスも来て、2月下旬にはほぼ食べ尽くされた。
やがて雪解けし、5月になるとタヌキが骨髄を欲したのか骨も消えていた。体毛の大部分は鳥の巣材となり、残りはバクテリアが分解。
8月、シカの死体があった痕跡はもう見当たらない。
といった自然界の営みが写真に収められた本書を文章ではとてもレビューしきれません。
生きとし生きるものが「土に還る」とは?を深く考えさせられます。「生きとし生けるもの」の一員である私たち人間は?ということも。
🐼ときどき動物園に行きます🦁🐘
「動物園」というカテゴリーを設けました↑。🐼を始めとして🦍🦁🐘🐯🦏🐷などなど様々な動物をいろいろな動物園で見てきました。よろしければゼヒご覧ください。
動物さん可愛いだけではないつもりです↓
中本忠子さん、コロナ禍での活動
http://akiyamachika.com/wp/wp-content/uploads/2020/10/月刊JA8月号「今も私の胸に刺さっている言葉」.pdf
↑コロナ禍ゆえに子どもたちが晒されている空腹と孤独を満たす活動をされているとのことです(秋山千佳ウエブサイトからの転載)↑
秋山氏が昨年著しました↓
『実像 広島の「ばっちゃん」中本忠子の真実』
秋山千佳によるノンフィクション、2019年発行。
「実像」というタイトルはミスリードをもたらしかねないと思う。この点については後のほうで書く。
1934年生れ広島在住の中本忠子さんは保護司を務めていたときから現在に至るまで約40年にわたり非行少年たち(に限らず)に無償で食事を提供し、真正面から話に耳を傾け、彼ら彼女らの立ち直りをサポートしてきた。
本作ではその事例がいくつも紹介されている(各メディアでもしばしば取り上げられている)。
常人では到底でき得ない、献身的という表現ではあまりにも軽すぎるほどの活動。
その動機を著者は探り続けるのだが、この点について中本さん自身の口は重い。
著者は「動機」に拘る理由を記しているが、読み進みながら私にはなかなか合点がいかなかった。(書かれざる理由であろう)ジャーナリストに欠かせない健全な好奇心以上にはストンと胸に落ちなかった。
しかし最終章で、拘る理由がどうのといったことはどうでもよくなった。中本さんと中本さんの家族から信頼された著者が話してもらった「動機」は(著者ばかりでなく)私の胸にも深く沁み入るものだった。そのキーワードは「かなしみ」である。
さてタイトルの「実像」だが、「オモテの美しい虚像に対してウラのダーティな実像」といったニュアンスでの使い方が定番と言えるだろう。
しかし、本作で書き込まれた中本さんの実像はそのようなものでは決してない。タイトルは等身大の中本さんという意味合いで捉えるべきであろう。
装丁のカンナの訳は最後の最後に示されている。本作そして中本さんの象徴として、とても効いている。
本作でもう一つ印象に残るのは、前首相夫人安倍昭恵さんが中本さんの活動に共鳴して協力も行っているくだり。
昭恵さんに世間から批判があるのは周知の通りだが、中本さんは昭恵さんを一人の人間として信頼し、感謝する。会った人そのものを見る、と言うより「感じる」中本さんならではと言えるだろう。
著者は昭恵さんに対する厳しい目を保ちながらも、中本さんの昭恵さん観を尊重する。
ちなみに↓では、取材相手に小池氏を褒める人が一人もいなかったのだろうか?
映画「スパイの妻」
1940年代前半、戦時下の神戸。
「スパイ」になった?夫が以前 戯れで作った映画で、出演シーンのため妻に覚えさせていた金庫の番号。
その金庫に隠した「国家機密」資料を妻が 夫(だけ)を「救う」ために官憲に持ち込むことを、夫は「わかっていた」のではないか。
それに妻自身が気づいたことも含めての、妻を「救う」ために夫が「企てた」おかげで官憲から放免されたときの妻の叫び「おみごと!!」ではないだろうか。
観終えてそんなふうにも思えるほどの、妻が夫を 夫が妻を 深く愛しているゆえの「騙し合い」「騙され合い」を高橋一生と蒼井優が演じた。
本編が始まるとき画面に表示された文字「bitters end」通りのラスト。
貸借と贈与
贈与は貸借と共に民法で規定された13の契約類型に入っており、言わば法律上は同等の行為。Kさん側の言い分もそこにあるのだろうと思います。想像にすぎませんが、相手側の真意とはズレていたとしてもKさん側からすれば贈与と受け取り得るやり取りはあったのかもしれません。
私たちのごく普通の感覚は、お金の受け渡しは貸借が当然であってましてや何百万円もの贈与なんてあり得ないといったところでありましょう。だけど専門的観点をも踏まえるべきであろうマスコミは、「普通の感覚」と等しくはない法的原理についても解説を加えるべきではないでしょうか。K氏側(に限らず誰であっても)を鵜呑みにするわけではもちろんなく。