ミヤシンの映画と読書とスポーツ+馬鹿話

子供の時からミヤシンと呼ばれている男です。本や映画やスポーツやニュース等の感想を短く書きます。2016年1月に始めました(2020年4月にブログタイトルを変更しました)。

凍れる音楽

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中学の修学旅行は京都・奈良でしたが、見学した中でただ一つ覚えているのが薬師寺の東塔です。フェノロサが「凍れる音楽」と評したと事前学習で習っていた通りに「いま目の前に在る物はナルホド!まさに 凍れる音楽 だ!!」と感じ入ったのです。(当時の私は授業をほとんど聴いていない不マジメ生徒でしたが、事前学習のそこは珍しくしっかり聴いていました。)
↑画像は薬師寺公式サイトからコピペしました。
↓再来年まで解体修理中とのこと。

伽藍のご案内 東塔【国宝】-薬師寺公式サイト|Guide-Yakushiji Temple

 

数少ない中学の記憶、思い出すのは松本先生絡み↓

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「感動をありがとう」って現実に言うか?

と、今朝のドラマ「半分、青い」でトヨエツ演じる売れっ子マンガ家が 弟子の主人公が描いてきた習作のセリフに対して。主人公は「言いません。」と返答。

ドラマの時代は1990年。トヨエツが「セリフが薄っぺらいんだよ!」と叱責したその言い方、今やフツーに「現実に言う」ようになっていますね。

 

星飛雄馬の「俺は感動している」も↓

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映画「四月の永い夢」

tokyonewcinema.com

映画評論家の故淀川長治氏は「どんな映画でも必ず一つは良い所がある」と語っていましたが
ヒロインの ラスト笑顔(だけ)がとても素敵でした。最近観た中では佳作「ブルックリン」ヒロインのラスト笑顔を思い出させるほどの。
ストーリーと ヒロイン初め役者たちの演技がもっと練れていれば(それが「ブルックリン」とは大違い)、その笑顔は素晴らしく映えていたことでしょう。

立ち歩いても邪魔にならない位置に座っていれば途中退出したかもしれないほどラス前までは、、、でしたが
そうしていたらラスト笑顔は見れなかったんだよなあ。淀長ブシを頭に刻み込まなきゃね。

2018年公開

 

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🐼と🦍 赤ちゃん 上野動物園

生後11ヶ月シャンシャン爆睡中↓

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母も熟睡↓ 別室で。乳離れが近いのかな。

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生後7ヶ月リキ。前回見た6ヶ月までは母親にべったりでしたが、だいぶ単独行動するようになっていました。

お父さんの近くで↓

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お姉ちゃんとじゃれ合い、と言うよりお姉ちゃんにおもちゃにされて↓

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やっぱりお母さんがイチバン?!↓ 

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道徳が正式教科化

この4月から小学校で正式教科になった道徳についてNHKクローズアップ現代+」が報じた。

番組全体の文字起こし↓

www.nhk.or.jp

番組一部の動画↓ 

www.nhk.or.jp

番組が取り上げた、ある小学校道徳授業の教材は「お母さんのせいきゅう書」と「星野君の二るい打」。NHKサイトの文字起こし↑を読んでみていただければと思うが(すぐ読めます)、どちらも なんだかな~と思った。

前者は家事育児を担うのは母親であることが当然の前提かのよう(実際、授業では親が共働きしている生徒が悲しい思いをした)。後者は野球戦術上の検討を加えなければ十分な考察はできないのでは?と思えた。

ちょいとネットで調べたら、前者は1911年発行の英米の 児童向け教会説教↓

crd.ndl.go.jp

後者は1947年(昭和22年)発行の少年誌掲載↓(原典全文)

http://e-freetext.net/hoshinokun_niruida.txt

が原典のもよう。古いからダメ とはモチロン言わない。それでは古典の価値を全否定することになってしまうから。しかし、古ければすべて古典的価値があるともまた言えまい。両作はどうだろうか。その時代にはそれが是とされていたことを示す貴重な歴史資料であるとは思うが。(特に「星野君~」の原典。戦後2年目に、、、とても興味深い。)

教育について考えるとき、たとえば この↓映画。「何十匹もの猫」が「気づかない」のは中国の政治体制だけに限った話ではないだろう。「一匹の猫」を育ててこそ教育と思う。正式教科化された道徳ははたして?

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山崎朋子『サンダカンまで わたしの生きた道』

昭和7年(1932年)生れの著者が『サンダカン八番娼館』を出版した昭和40年代までの自伝です。朝日新聞社 2001年刊。

読んでいろんなことを考えさせられたが
一つあげるなら、昭和20〜30年代の女性の「生きづらさ」。
モチロン著者は犯罪被害者(強く憎むべき種類の犯罪の)であったなど「波瀾万丈」の個別性があるのは確かだが、この時期の女性全体に通じる普遍性もあると言って過言はないだろう。
女性に選挙権がなかったり旧民法で妻は「無能力者」だったりの時代から10年や20年で人々の(男性の)意識がそうそう変わるはずもなかっただろう、と思う。して今は?とも思う。女性の被害に向き合うよりもまず、ハニートラップだのナゼ家に行ったのかだのと言い立てるヒトが(いまだに少なからず)いる今は はたして。

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『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』

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1995年11月に行われた対談。
両氏の持ち味が存分に発揮されています。←この言い方は「巨人」たちに向かって軽すぎるけどね。 話題は多岐にわたります。同じ年の1月に大震災、3月に地下鉄サリンが起こったことを意識しながら読むといっそう深い(この災害と事件そのものについても少し語り合っています)。
そして
二人ならではの視点で指摘する95年当時の社会病理、それが21世紀の今はもっと深刻化しているのではないか とも考えさせられます。

ハルキの方から「会いにい」っただけあって、どちらかと言えば河合氏の土俵(心理療法)で対話が進みます。
その中でハルキは文学論と自らの創作姿勢を とってもストレートに語っています。暴力と性をナゼ描くのか、も含めて。
対談時期が『ねじまき鳥クロニクル』と『アンダーグラウンド』『海辺のカフカ』との間であるのを意識すると これまた深い。

引用したい所 たーくさんありますが、一つだけ↓
ハルキ「小説の本当の意味とメリットは」「その対応力の遅さと、情報量の少なさと、手工業的しんどさ」。
河合氏、それは「心理療法のメリットそのもの」と共感した上で、現代社会は「できるだけ、早い対応、多い情報の獲得、大量生産を目ざして」いて「この傾向が人間のたましいに傷をつけ」ている。

阿川弘之『雲の墓標』

1942年に東大を繰り上げ卒業し 海軍予備学生として入隊した著者の体験を踏まえた、日記仕立ての小説。1956年発行。(著者は阿川佐和子さんの父)

 

京大学徒吉野次郎は昭和18年(1943年)12月10日 広島の海兵団に入った。その当初は「戦局は日本に有利な状況ではない。しかし米国にとっても必ずしも有利な状況ではあるまい」との希望的観測を持ち、海兵団での教程が修了する一か月余後には士官になり 戦場で兵たちの「生死をにぎって、其の指揮をとらねばならぬ」と覚悟していた。

しかし 翌1月から内地の海軍部隊を転属していくうちに、希望的観測などは到底持ち得ないほどの戦力差が分かってくる。そして「戦場で指揮をとる」状況は結局訪れず、特攻の指名を待つだけの状況になっていった、、、

 

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村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

全作読んでいるハルキ長編の一作。2013年刊。

タイトルの「色彩を持たない多崎つくる」には、「文字通りの意味」と「もう一つの含意」が。
「文字通りの意味」は8ページ目ですぐに明らかになる。(そして彼が関わるのは皆「文字通りの意味」での「色彩を持つ」人ばかりだった。ただ一人を除いて。)
本作は「もう一つの含意」をめぐるストーリー。
 
ハルキ小説を読んでいていつも思うのですが、英訳しやすそうな文章だなと(例えば本作4ページ「強風に襲われた人が街灯にしがみつくみたいに、彼はただ目の前にあるタイムテーブルに従って動いた」)。ノーベル賞有力候補?なのもむべなるかな⁇?
英訳しやすそう≠うつくしい日本語文学、という気がしないでもないけど。

 

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村上春樹『東京奇譚集』

目撃された 死んだはずの息子、夜中に動いている机の上の石、高層マンションの階段で夫が「消えた」、、、奇譚仕掛けの5編を収録。
人の心のヒダが深く静かに描かれている。(なお、性表現はほとんどなし。)
2005年刊。

とりわけ『品川猿』。
結婚3年目の主人公はまるっきりのいわゆる平凡な女性。(にもかかわらず)なにかに嫉妬したことは一度もない(と言う)。
高校生のときに、美人で頭がよくていわゆる全てを備えている「にもかかわらず」嫉妬のカタマリと自認する一年後輩と「接点」があり、、、そのあとが
サスガ!の含蓄。「猿」が舞台回し的な、奇譚。

 

 

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素敵すぎる手ぬぐい

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川越の「亀之助商店」製 手ぬぐい。あまりにもスグレモノなので壁に掛けました。

顔のつくり はまるで同じなのに、顔の角度とカップ・本・新聞の小道具で表情がまるで違って見え。

ダビンチ「最後の晩餐」に似た構図でもあり? 裏切り者は (たぶん)いないけどね。

そないなことより何より とにかくカワイイ。見ていて ほっこり♪

 

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ジョージ・オーウェル『象を撃つ』

オーウェルのエッセイ『象を撃つ』を読みました。(『アンソロジー人間の情景8 動物との日々』文春文庫 に収録。)
 
彼がビルマの植民地警察に勤務していたとき 象と「対峙」したある体験が綴られています。付されている、「彼自身の階級とそのモラル に対する切実な批判精神」との紹介文がキモを言い得ている一篇。まだ20代のころだったとは言えオーウェルほどの知性でも有色人種蔑視から自由ではなかった(それに対する「切実な批判精神」もモチロン読み取れるが)ことに !でした。
 
「象を撃った」出来事に直面したようなときの葛藤が のちの2作↓につながっているのか、とも考えさせらました。