いろんな言葉が問題にされる昨今、女性蔑視とされるケースも少なくない中で、しばしば目にする(「NHK女性アナウンサー結婚」の記事↓にもある)「才色兼備」はどうして無事スルーされているのかフシギ。この類の言葉、男には決して使われないわけで。
「女王陛下のお気に入り」アカデミー賞主演女優賞
3女優の競演、凄かった。
主演オリヴィア・コールマンがアン女王役。昼も「夜」も女王最側近のサラをレイチェル・ワイズが演じる。
没落貴族の出で宮殿の召使からスタートするアビゲイル役のエマ・ストーンは、どうやら「頑張り屋さん」がハマリ役。「ラ・ラ・ランド」のミアは正しい頑張りだったが、アビゲイルは邪な頑張りで「上って」いく。
入れ替わりでサラは「下って」、いや、まさかという坂に落ちる。
女王居室に向かう長くて広い廊下のように、アン女王の「道」には「坂」はない。サラは、そしてアビゲイルも、同じ「道」を歩んでいると思えた瞬間があったろうが、何かと頼りなさげであっても女王が「居る」のはやはり二人よりはるかに「高台」であった。
、、、を三人三様に演じ切った。
18世紀英国のあれこれも興味深かった。
主演男優賞は↓
狼の群れと暮らした男
本書によると、飼育オオカミがなかなか子を作らないのは、飼育下では単一の群れしかいないからである。群れをなす動物であるオオカミ。群れ同士は縄張りを争うライバルなので、繁殖の目的は群れの維持発展なのである。そこで、放し飼いスタイルの自然動物園で著者は他の群れの遠吠えをテープで流してライバルがいると思い込ませたら首尾よく子が出来た。
1964年生まれの英国人ショーン・エリス氏の自伝。飼育下ばかりでなく野生でも、文字通りオオカミの群れの中で暮らしてきた。同じ生肉を食べ、匂いを消さないため体を洗わず服を着替えずに。ロッキー山脈における野生群れとの約2年間はとりわけ圧巻である。
オオカミの群れには受け入れられた著者だが、人間社会にはあまり受け入れられず。家族や仕事相手と数々の軋轢が。オオカミに関する様々な知見も学会にはあまり受け入れられてこなかった。といった苦悩も綴られている。
『狼の群れと暮らした男』、築地書館、2012年(原著2009年)発行。
動物モノをしばしば読みます↓
大河ドラマ「いだてん」視聴率不振
わかりにくいのをガマンしてまで 丸一年もかけて 往年の名ランナーとオリンピック招致の立役者について知りたい?なんて憎まれ口も、当たらずとも遠からずかな。龍馬や西郷や秀吉や信長のようなわけにはいかないよねえ。その西郷でさえ去年は視聴率低めだったのだし。
首相たる立場で
このような旗幟鮮明な催しに(どの方向で鮮明にせよ)出席するものだろうか。そのような例はあっただろうか?
「バカボンのママはなぜ美人なのか」
「あんな『パパ』に、どうしてあれほど美人で聡明でしかも優しそうな女性が奥さんとなったのか。」
と2013年発行の本書序文で著者は書いています。私も、50年ほど前『週刊少年マガジン』で「天才バカボン」を読んでいたときから「バカボンのママはなぜ美人なのか」がずーっと謎でした。。
写真↑下のマスキングテープにバカボンのパパとバカボンのママが並んでいますが、パパの方はたしかに「あんな『パパ』」ふう。ママは、いわゆるナンセンスギャグらしいルックスのキャラばかりの中で 際立って美しく見えたものです。
しかし、全5章の中にはバカボンのバの字も出てきません。本書はメインタイトル「バカボンのママはなぜ美人なのか」に直接答えるものではなく サブタイトル「嫉妬の正体」が内容を正しく表しています。柴門ふみ自身や周囲の人が過去に抱いた様々な嫉妬を紹介しながら「嫉妬の正体」を明らかにして、どうすればそれを解消したり克服したりできるのかが考察されました。バカボン絡みが次にやっと出てくるのは後書きで、最初に引用した文に続く「そして、そんな『ママ』を誰も嫉妬しない。」のはなぜか?が示されています。
メインタイトルの「回答」を期待して読んだ私は、正直、拍子抜けでした。だけどよくよく考えたら、「バカボンのママはなぜ美人なのか」なる疑問の「正体」はなんなのでしょうか。あ! 「美人で聡明でしかも優しそうな女性」が妻であるバカボンのパパへの嫉妬? あるいはそれが、本書が教えてくれた、積年の疑問への「回答」でしょうか。
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あのころの少年マガジン↓
柴門ふみ自らの体験をかなり晒け出していますが、やっぱりこのヒトには及ばない(私小説と比べるのはフェアでないけれど)↓
「カメラを止めるな!」が選外とは!? キネマ旬報ベスト・テン
てっきりヘビの手触りは
ヌルヌルと思っていたら実はサラサラだそうです。
たしかにあの長い生き物は地面をはい回るのだからヌルヌルだと抵抗が大きくて動きにくくなるようにも思う。
インドでかなり太いヘビの触感はザラザラだった、と友だちが。 ナルホド大蛇ならなおさらザラザラぐらいじゃないとスムーズに進めないかも。
長い間おとなをやっていると思い込みで間違えていることが多くなりがち(ワタシの場合は)。気をつけなきゃね。
ちなみに爬虫類仲間のトカゲは? 子供のころ友達と野っ原を転がって遊んでいたとき触っちゃったらヌルヌルしていた覚えがあるのですが、、、錯覚のタグイかも。
ちなみに、
グーチョキパーじゃん拳の原型的な「とてつる拳」の舞が江戸時代の歌舞伎で演じられてその歌詞に「♪へび ぬらぬら」があった(湯浅淑子「江戸の拳の流行と歌舞伎事情」歌舞伎座パンフレット『二月大歌舞伎』2019年)。「ぬらぬら」は見た目のイメージだけを言ったのか、あるいは昔から手触りもそう想像されていたのか?